
こういっちゃなんだが、それはごくありきたりな記事だった。
JA(農業協同組合)の家の光協会が発行する月刊誌『家の光』2024年10月号で、俳優・瀬戸康史さんのインタビュー記事を読んだのだ。内容は当然、食の話であった。
からし明太子
この秋、堤真一さんと二人芝居で共演するという…。『A Number―数』。瀬戸さんが演じるのはなんと三役。クローン人間、父親に見放された息子、それから別のクローン人間…。
この秋――というつながりから、そのあとの文章で、秋の食べ物の話題になる。キノコ、サツマイモ、クリ、サンマ…。「キノコのオイルパスタ」をよく作るという。高知のサツマイモ農家さんで、サツマイモのごはんをいただいた、とも。
白米のご飯に合うおかずは、からし明太子。瀬戸さんは大好きらしい。恐縮ながら、私にとってもからし明太子は、大好物である。もうそれだけあれば、おかずはじゅうぶん。できれば最後に、熱い番茶を注いでお茶漬けにしたい。
からし明太子?
そう、瀬戸さんは出身が福岡だから。地元の嘉麻市では、「SETO×KAMAプロジェクト」というのをやっているらしい。

マンビィ演出のナンバー
もうここ最近はずっとコメのニュースが続いている。備蓄米。農水大臣。農協。コメ農家。
コメの高騰という事情に通じ、なにげなく読んでいた月刊誌の記事ではあったが、私としては、なんとなく舞台のほうが気になってしまった。
英国のキャリル・チャーチル(Caryl Churchill)原作。ジョナサン・マンビィ(Jonathan Munby)演出。
『A Number―数』。
このお芝居は、人工的な“クローン人間”のストーリーらしい。
“クローン人間”というと、実に先鋭でサイエンティフィックな雰囲気が漂うが、ちなみに昔、日本ではこういうのを、“人造人間”と露骨にいった。
例えば、石ノ森章太郎原作の“仮面ライダー”のストーリーの肝は、まさに人々のヒーローとなるがゆえに、苦しみを抱え込んだ“人造人間”のその哀しみであった。世のため人のためという自己の正義感は、人々を感動させ、憧れの存在となるが、人は決して彼をヒトとは思っていない。ワタシもカレもカノジョも同じ「私たち」で括れるが、アナタは別個。違う。「私たち」ではない――。
“人造人間”の哀しみは、今ではサイエンティフィックに“クローン人間”が請け負うことになった。
『A Number―数』のストーリーは、自分がクローンだと知った主人公のバーナードが、父親のソルターに問いただす。何を? いやいや、とにかくなんやかんやとゾクゾクするようなお芝居に違いないと私は思った。そういやあ瀬戸さんは昔、仮面ライダーキバだったよね。

それは去年のことじゃないか
ここからの私の行動が、全く頓珍漢だった。
私はこのお芝居がたちまち観たくなり、チケットを購入しようとしたわけである。
東京・世田谷パブリックシアター。
公演日は、9月10日から29日まで。
よし、この秋、予定をどこか空けて、3年ぶりにナマの演劇を観ようじゃないか!!!――。
白いシャツを着た瀬戸さんが、ニヤリと笑ったような気がした。
キャリル・チャーチルの原作本(戯曲)が日本語訳でほとんど無いんじゃないの? ということに気づき、落胆したついでに――いや、こちらのほうが遙かにショックだったのは、この舞台が「2024年秋」の公演であり、既に――というか、自分が「去年発行の本」を眺めていたということを、すっかり忘れてしまっていたのだった。耳元で誰かがつぶやく。
青沼くん、とっくに終わっていますよ、その舞台は。
衝撃的な事実であった。つまり、こういうこと。
私は『A Number―数』の舞台に厳然とあやかれない。世田谷パブリックシアターに足を運ぶ必然的理由が、無い。
全ての綿密な計画は、ことごとく妄想にされてしまったのだと。何もかも失われてしまったのだと――。
えーーーーー、なんじゃそりゃああああああああ。
でもなんだか、重大な何かに気づき始めたのだった。
昨今、私の中ですっかり演劇熱が冷め切っていたところに、風穴を開けてくれたなと。
それはもしかすると、気のせいかもしれない。
でも、瀬戸さんが出る舞台なら、どこでも足を運べそうだ。どっちらかったスケジュールを無理矢理空けてでも。そう、瀬戸さんが出る舞台なら、見応えのある濃厚な、含みの多い作品に違いない――。そんなふうに、思えたのだ。せっせと私は「チケットぴあ」のアカウントを新規に取得いたしました。
初夏の奇妙な出来事であった。
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