マン・レイ写真集の黒塗りに関する備忘録

【曰く付きの写真集『写真家 マン・レイ』(みすず書房)】

 私が心霊研究家・中岡俊哉編著『続 恐怖の心霊写真集』(二見書房)について取り上げたのは、2015年7月。もう11年も前のことである(「〈再録〉拝啓心霊写真様」)。

 自分たちで工作したのであろう“鬼のお面”を手に持ち、23人の園児たちはその写真の中にすっきりと収まっている。後ろには、幼稚園の先生も一人写っている――が、彼らの楽しげな写真は一変し、あるぼんやりとした“人の顔”の現出のせいで、紛れもない心霊写真ということになってしまった――。

黒目線という手法

 ところで彼らは皆、「黒目線」(専門用語では目線)が眼の部分に入れられている。これは「目隠し線」ともいい、「黒塗り」ともいう。
 この写真が本に掲載された主旨は、いわずもがなそこに霊体像(心霊)が写っているということであるので、観察の主格はあくまで霊体であり、園児たちや先生の顔は、プライバシーの観点から眼の部分に「黒目線」を入れられ、隠されている。ちなみに、“恐怖の心霊写真集”シリーズの本では、ほとんどの写真の中の人物に「黒目線」が入れられ、主格が霊体であることを示している。

 そのことが特に問題であるわけではない。
 ただ、個人的な思いとして、こうした本を小学生の頃に読んでいたので、「霊体が写っていたりする」ことの恐怖感と同じくらいに、それぞれの人物の「黒目線・顔」も怖かったのだ。
 人の顔に「黒目線」を入れると、どんな美人でもハンサムボーイでも、たちまち別物に変幻してしまうのだった。ヒトは眼を見てその人を認識するという。眼の輪郭線そのものを追えなくなると、人物を特定できなくなり、心理的な穏やかさをも失ってしまうのである。

【あらかじめ覚えておいてほしいのは、この方がマン・レイ(セルフポートレート)】

 なにかが描かれ、その上を黒く塗りつぶす作為。墨塗り。これを古くから「墨入れ」という。描かれているもの、書かれて示されているものを隠蔽して認識できなくするための手段として用いられ、非日常的な、ある意味不自然な形として記憶に留められる。

 このことに照らし合わせて、視野を一点集中させてみよう。

 すなわち、芸術的なヌード・フォトグラフィーのピュービックヘア(陰毛)に「墨入れ」をおこなうと、いかにそれがいやらしいポルノグラフィーに様変わりしてしまうか――ということ。

 もともとヘアの黒い部分を、さらに黒く塗りつぶすのだから、皮肉な笑い話にしかならないのだけれど、その顕著な類例の“黒歴史”として、かつて世間を騒がせた「マン・レイ写真集のわいせつ黒塗り問題」があったのだ。

マン・レイの写真集

 みすず書房が1983年に発行した大判の写真集『写真家 マン・レイ』(著者マン・レイ/飯島耕一訳)は、全く曰く付きの出版であった。

 マン・レイ(Man Ray)は1920年代以降にパリで活躍した写真家であり、ダダイスム、シュルレアリスムのスタイルとして有名である。また、レイヨグラフ(Rayograph)、ソラリゼーション(solarisation)という写真技法を用いた作品が数多くあり、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)やパウル・クレー(Paul Klee)などの著名な芸術家とも親交があった。

 実際に『写真家 マン・レイ』の本を開いてみるとわかる。

【マン・レイの写真作品「思考における物質の最優位性」】

 例えばこの、「思考における物質の最優位性」という作品を見てみよう。

黒塗りの現出

 そこの貴方、笑わないでいただきたい。
 これは、フランスの「革命に奉仕するシュルレアリスム」(“Le Surréalisme au Service de la Révolution”)誌3号(1931年12月)に発表された作品で、黒髪の女性が床に横たわるヌードフォト。よく見れば、ソラリゼーション効果が用いられている。

 ただし、中央の黒塗りの四角形がよく目立つ。目立ちすぎる…。

 まず視覚認識として、そうした白い肉体には不釣り合いな“黒塗り部分”に目がいくだろう。そして女性の胸部の、なだらかな丘となっている白い乳房にも目がいくはずだ。太ももは艶めかしく肉感があり、腋窩には薄っすらとした脇毛が見えるであろう。しかし黒塗りは、その脇毛を塗りつぶすことをしなかった。女性の黒い髪も塗りつぶされてはいない。あくまで問題は、ピュービックヘアなのである。

 ここで確認しておかなければならないのは、あの“黒塗り部分”が、マン・レイの意図的な加工ではないことだ。
 彼の意思表示とは全く無関係にして、勝手に、みだらに施されて濫用されてしまっているのである。

 いったいどういうことか。
 つまり、日本でこの本が出版される時、東京税関からヘアをなんとかしろと、みすず書房がお咎めを食らったのだった。

【例えば同じ写真集の中でも、こういう作品には黒塗りされていない(「コート掛け」1920年)】

検閲問題

 この件に関しては、写真集付録の「『写真家マン・レイ』検閲問題資料」が詳しい。

 1982年8月16日。フランスより、写真印刷物『写真家 マン・レイ』が4パレットで東京港に着く。
 ところが9月3日になり、みすず書房の担当者が東京税関大井出張所から呼び出されるのである。
 問題は、ヘア露出の写真ありとのこと。検閲で指摘されたのは、以下の4点の作品。

  • 「思考における物質の最優位性」(1931年)
  • 「メレット・オッペンハイム、ルイ・マルクーシ」(1933年)
  • 「メレット・オッペンハイム」(1933年)
  • 「モンパルナスのキキ」(1922年)

 これに鑑み、写真印刷物『写真家 マン・レイ』の返送もしくは廃棄、あるいはスミの塗抹かなにかの処理――の選択を要求された。

黒インクで二回刷り

 みすず書房は善処を求めた。
 大蔵省関税局において会議がなされ、結果が申し渡される。
 善処の申し入れに対しては、特別の措置をとることはできない。芸術かポルノかの判定は税関ではできない。そんな判定をすれば文化統制のそしりを受けることになる――。

 みすず書房は已むなくヘアの消去――印刷による消去――を決定し、物品は未通関のまま印刷所へ送られ、具体的な方法を検討。
 この頃、在日フランス大使館より、関税局に対してわいせつの取締規定に関する質問状を送るなどのやりとりがあった。
 10月12日、印刷による消去の“ゲラ見本刷初校”を東京税関の図書調査課が検討した結果、意見メモとして、「拝見したところ消去されたと認められません」との通告あり。

 こうしたことから、10月16日、ゲラ見本刷の“再校”にあたって、税関とみすず書房が意見交換。
 黒塗りに関して、インクは100%の黒(濃度の一番濃いもの)を使用し、印刷済みの黒色を消すためには、一度では不十分なので2回の印刷が必要と結論づけた。
 税関は、円形か楕円形ではどうか? と訊ねたところ、みすず書房側が「一番機械的なものとして、四角形・矩形の方がよいと思う」と意見した。

 後日、“再校”(意見交換の結論)について税関の承認を得、印刷所にて作業完了。現品の検査も終える。

わいせつではないという抗議

【ミシェル・ジョベール氏が内田宏氏に宛てた抗議文(テレックス)】

 10月23日、フランスの対外貿易相ミシェル・ジョベール氏から、パリ駐在日本大使の内田宏氏宛に抗議文(テレックス)が届き、7日後、共同通信社がそれを各新聞社に配信する。
 12月21日には、朝日新聞の「論壇」より、「わいせつ助長の税関検閲」の見出しで、みすず書房編集代表で常務取締役の小尾俊人氏の投稿文が掲載された。以下、一部抜粋して引用。

 スミの塗抹は黒インクの二回刷りで行われ、その結果、それらは「無害な物品」になったと認定された。
 この過程でのわれわれの体験であるが、この暴力的加工作業によってマン・レイの写真はきわめて不自然なものとなり、この「無害な物品」にこそわいせつ性が生じたように思われた。

1982年12月21日付朝日新聞「論壇」より引用
【伴田良輔編・著『図説 20世紀の性表現』(宝島社)よりマン・レイの「メレットとルイ・マルクーシ」】
無害であることのわいせつ性

 一連の騒動は、当局が、「陰毛の露出」は、刑法175条のわいせつ物頒布等罪にふれるであろうという解釈のもと、その予防措置を出版社側に要請したために起こった。出版社側は已むなく、マン・レイの4点の写真の“ヘアの部分”を黒インクによって黒塗り(墨塗り)したのである。

 マン・レイの写真集には、訳者・飯島耕一氏の「パリで翻訳するの記」という批評文まで付録されていた。その中で、
《今回は残念ながらぶざまで滑稽な墨塗りのマン・レイが日本の本屋に出る》
 ということばが印象的だ。
 マン・レイの一連の芸術的写真作品が、国内では過小評価されたかのごとく、形としては彼の作品を侮蔑したのである。
《ヘアがいけないという杓子定規な法律があるのなら、即刻そういう法律は撤回すべきだろう》
 とも飯島氏は述べた。

 芸術かポルノかの判定は税関ではできない、そんな判定をすれば文化統制のそしりを受けることになる――といいながらも、その文化統制のきわどい常用化に、税関が加担したことは免れない事実であった。pubes(下腹部の黒い毛)を黒く塗りつぶす以外に、選択の余地がなかった出版社側には、全く非がないのである。

 国内の“ヘア=わいせつ”自主規制の判断は、1980年代後半にかけてゆるやかにほどけていった。
 その確たるもの――記憶すべき金字塔が、1991年の『water fruit 篠山紀信+樋口可南子 accidents 1』(朝日出版社)である。そこには堂々とした樋口さんの日常的な姿態が、四角いモノリス(Monolith)の影すらもなく露骨に描かれていた。
 この写真集の出版によって、“pubesはわいせつである”と叫ぶものはいなくなり、黒いものを黒く塗りつぶすバカげた時代は終わったのだった。
 そう、メレット・オッペンハイム(Meret Oppenheim)と同様、樋口さんの姿態が、あまりにも美しかったからである。

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