
前回、ホチキスの話で反響を呼んだ(?)岸本佐知子さんの「ネにもつタイプ」。PR誌『ちくま』(筑摩書房)の連載コラムであるが、今回もお調子よく紹介する。
『ちくま』2025年8月号(No.653)の「ネにもつタイプ」のタイトルは、なんと「ガラガラ」――。これだけでは、何の話だか検討もつかないだろう。しかし、やはり読んだら面白かった。実は美味しい料理店の話なのである。
焼鳥屋?
岸本さんは美味しい焼鳥屋さんに行った。《ネギマぼんじり手羽先つくね銀杏ささみピーマン砂肝》。
美味しい焼鳥屋さんと書いているが、食べたあとで美味しいとわかったから、美味しい焼鳥屋さんなのである。行ってもいない初めての食べ物屋さんを称して、美味しい◯◯屋さんと断言していわない。あるいはもしかすると、美味しいと評判の焼鳥屋さんと書いたつもりなのかもしれないが、ともかく食べたら美味しかったらしいから、美味しい◯◯屋さんを貫き通すことにする。
ところで、焼鳥屋さんのネギマ。
岸本さんの文章から少々脱線するけれど、私自身、ネギマには濃い思い出があるのだった。
ネギマを知らない人のために断っておくけれど、ネギマとは、鶏肉とネギを交互に刺した串――なんて出てきます。ネット検索では。
子どもの頃は、どういうわけか、ネギマとはあまり聞かなかった。私の耳が悪かったのかもしれない。いや、そんなことはないと思うが、いずれにしても私自身、ネギマという呼称を知らなかった。だからネギマのことを、“ヤキトリのネギのやつ”と呼んでいた。かなり大雑把な表現だ。
§
ネギのやつで、濃い思い出があるのである。
小学2年の夏休み。母方の地元・広島の呉市に家族旅行して、親戚の家を訪れた。親戚の人はスナックを営んでいるというので、昼間、そのお店に寄らせてもらった。もちろん、まだ営業時間帯ではないから、お客さんは一人もいない。
親戚の人が、カウンターからごっつりと、アツアツの焼鳥をお皿に盛って差し出してくれた。これがいわゆるネギマである。ネギのやつ。
何を隠そう、その頃の私は、野菜のネギ系が大嫌いだったのだ。長ネギが嫌い。タマネギも嫌い。うどんに入っているネギを避ける、どかす、が当たり前――。そんな幼い私はアツアツの焼鳥のネギのやつを見て、思わずぎょっとしたのだ。ぶっとくテカっているネギの塊が、さも小綺麗に律儀に整って串に突き刺さっているではないか。もう見るからに恐怖。真夏のホラー。
とはいえ、子ども心にもそれを食べなかったら悪いと思ったし、親に叱られそうだ。せっかく出されたごちそうに、全く手を付けないわけにもいかない。人の道に外れると思った。そこで私は、なんとか串刺しのネギの塊を一つ口に入れて、頬張った。
それはやはり、真夏のホラー感覚絶頂の体感であった。
うぁぁぁぁぁー。苦しーーーーーーーーーー。
口の中で、ネギの苦みが広がるのだ。悶絶したくてもできない。親戚の人がにっこり笑ってこちらを見ている。噛めば噛むほど、ネギの苦みが伝わってくる。ホラー映画のサスペリア的恐怖。ほら、あったじゃない。どういうわけだか窓から落っこちて、そこが有刺鉄線地獄だったっていうシーン。あれです。口の中の苦いネギの塊が、私にとっては有刺鉄線が口の中で絡み合ってる感じだった。イタイ、イタイ、イタイ。
焼鳥だけに、その時まさに鳥肌が立っていたのだけれど、どうしてもネギが大きすぎて飲み込むことができなかった。
うわぁぁぁ、どうしよう。
口の中で永遠に、宇宙の果てまでネギの塊が苦みを出し切っている。噛めない噛めない噛めない。神様、ボクはどうしてもこれを噛めません。飲み込めやしないよ。ほんと、悪い子だけど泣きそう。
結局私は、ネギの塊を頬張ったまま、たぶん小一時間くらいずっと飲み込めずに我慢していたのだ。その間何も喋れないよ――。
ようやくお店を出る時になって、外の地べたにネギを吐き捨てたのだった。なんて悪い子。神様ごめんなさい。いや、親戚の人ごめんなさい。吐き捨てた時、誰にも見られてはいなかった。恐怖体験が終わった安堵でクタクタ。その後のことは何も憶えていない。でも、長い時間ネギの塊を頬張っていたので、ネギの苦み成分がまだ残っている。もしかするとそれは、実体験の恐怖からくる、仮想の苦みだったかもしれない。バーチャルな苦み――。大人になるまでトラウマが続き、ネギのやつ=ネギマは食べられなかったのである。
§
ごめんなさい。自分の話をしてしまいました。
岸本さんの話。もう一度書きますね。《ネギマぼんじり手羽先つくね銀杏ささみピーマン砂肝》。その焼鳥屋は最高の味で、最高のお酒だったらしいのだ。
でも、一つだけ難点があった。その店舗のある地階にのびた階段が、ぬるぬるしていたというのだ。ぬるぬるお化け?
いや、別にお化けじゃない。お店と洗面所を往復するのに、滑らないように注意深くその階段を昇り降りしたというのだ。岸本さんは。確かに階段のぬめりは危険だ。《何か厚みのある不思議な感触のぬめり》。やっぱりぬるぬるお化けか。いや、そんなことは書いてない。でもなんとなく、意味ありげに思えてしまうのが岸本さんの文体だ。妖怪でもいたのだろうか――ということを感じさせる、ゆらぎのあることば。
タイの料理店
30年修行したタイの料理人の料理店に行った、とのこと。そのお店は、《ヤムウンセンタイ風さつま揚げカオマンガイチャーハントムヤンクン》が美味しかったらしい。
私も何を隠そう、トムヤムクン(Tom yam kung)が好き。これもネット検索すると、トムは「煮る」で、ヤムは「混ぜる」の意と出てくる。つまり、エビを煮て混ぜるスープ。
トムというと、ブラザートム(Bro.TOM)。みんな知ってるね。「Won’t Be Long」という曲がとても有名。ああ、トムといえば、トム・ホランド(Tom Holland)も知ってるね。スパイダーマンね。クモ系は私の大好きな映画だ。トムといえば、トム・クルーズ(Tom Cruise)さんも忘れちゃダメね。それから、トム・ハンクス(Tom Hanks)さん。脱線しそうだから、映画の話はしないけどね。みんなトムね。トム、トム、トム。ああ、下條アトムさんもトムだけど、ア・トムだから、ちょっと違うね。トーキョートム。それ、知らなくていいよね。
そんなトムヤムクン(トムヤンクン)の美味しいタイの料理店も最高だったと岸本さん。店内にごちゃごちゃとタイづくしの民芸品が飾られていたとか。
でも、一つだけ難点。隣にカラオケスナックがあったらしく、おっさんの歌声がやかましく聞こえてきたらしい。「北国の春」だとか、「越冬つばめ」だとか、「津軽海峡・冬景色」だとか。オールディーズのカラオケ人たちの、定番中の定番。私はここに、「3年目の浮気」と「氷雨」を加えたいね。ともかく隣のスナックから聞こえてくるおっさんの歌声で、岸本さんはタイの南国気分がすっかり削がれてしまったという話。

イタリアンの料理店
また別のイタリアンの料理店に行ったら、店内の雰囲気もサービスも良く、料理もワインもみんな素晴らしかったという岸本さん。
私個人の独断と偏見では、ラーメン屋さんにはごく一部に“不味いラーメン”を出す店があるけれど、イタリアンの店で“不味いイタリアン”に出くわした経験がない。考えてみれば、食材のパスタにしろ、野菜にしろ、オリーブオイルにしろ、それらを炒めて混ぜただけの料理が多いので、不味くなるわけがないのだと思う。だから、イタリアンで不味い店はこの世にない!!!!――と断言してもいいのではないか。はい、断言します。
ただし、岸本さん的には、そのイタリアンのお店に一つだけ難点があったという。
味のことではない。料金がすこぶる高かったらしい。
§
また脱線しちゃう。
私ね、むかーし昔、ロブノ…なんとかというお店に入って、パフェを注文したわけです。2人前。巨大なパフェでもなんでもなく、ごく有り体の、オーソドックスなスタイルのパフェ。いや、多少フルーツが多めだったかも。
で、その時に、料金を見たら、1,300円くらいしたわけです。えぇーっと思った。20代前半の、田舎人だったから。
目玉が飛び出た、というほどではなかったけれど、たとえば田舎の町のイトーヨーカドーで、オーソドックスなパフェなんて、800円もしなかった。昔はたぶん。
イトーヨーカドーでは、子どもが食べるお子様ランチもだいたい800円だったし、ラーメンなんかは600円とか。生クリームがぽつりとのったプディングが180円くらい。クリームソーダも140円だったかなあ。洋食が食べたいのなら、イトーヨーカドーに行くというのが私の信念というか、流儀でした。
で、1,300円もするのかと驚いたロブノ…なんとかというお店のパフェを食べた時、味なんてしなかったね。財布に千円札が2枚しか入っていなくて、おいおい2人分足りねーよヤバいヤバいと思って広げた財布に、なんとか100円玉がジャラジャラっと入ってて救われた、という感じだったので冷や汗をかいたけれど、二人きりのデートでロブノ…なんとかというお店にやって来て、パフェでやられたなと、田舎人の私は思ったわけです。
§
閑話休題。
みんないいお店で素晴らしいのに、ちょっとずつ欠点があるね、と岸本さんは思った。それだったら、ちょっとずつ欠点のあるお店をガラガラポンして、いいところだけを合わせたお店が、吐き出されないかしらと――。《そんな機械があればいいのに》って、そんなお店を飲み込む大きなガラガラポンの機械なんて、あるわけないでしょう。
出てきた店は、ぼんじりとトムヤムクンと雲丹のパスタが同時に食べられてしかもどれも夢のように美味しく、店内は庶民的でありながらしかも美しく、お店の人はみなことごとく優しく、しかも料金はびっくりするほど安い。
岸本佐知子「ガラガラ」より引用
まるで車寅次郎のようなことを仰っているが、そんな優雅な完璧なお店が、この世にあるわけがないのだ。岸本さんもわかっている。全て欠点を実地で体験したうえで、ああここは酷い、ここは汚い、ここはうるさい、これは不味い、このお店は高いを経験し、その先にようやく、なんとか美味しいお店に出くわす。それって一番ハッピーなことなんじゃない?
この世なんてそんなもの。いい人に巡り会えたかったら、マッチングアプリにかじりつくのも悪くはないけど、やっぱりこの人は酷い、この人は汚い、この人はうるさい、この人はブサイク、この人は高慢だよねを経験してから、ようやくなんとか、オーソドックスな800円くらいの売値のいい人に巡り会えるんじゃない? と、私も思う。
最後の段落で岸本さんは、超絶な皮肉を込めて文章を書き終える。たいへん味のある、含蓄のある「ネにもつタイプ」の「ガラガラ」であった。クラフト・エヴィング商會のイラストも、けっこう弄っていた。
ひゅーるりー、ひゅーるりーららー。
寒かろに…じゃなくて、まだ暑いわな。
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