
将来、芝居がうまくなったら、シェイクスピア(William Shakespeare)やテネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams)の戯曲を自前でアレンジして、コメディタッチでそれを演じられたらどんなに素敵だろう――と夢を描いていた19歳の私は、ひ弱でありつつ向こう見ずだった。決めることはスパッと決めた。案外夢は実現できるのではないか、と思いながら…。
そうして仲間とちっぽけな劇団を立ち上げた時、私は確かに興奮し、自分の居場所を見つけられたかに思えた。だがしかし、その母体はやがて、全く思いもしないガラクタの集団に成り下がってしまったのだ。そんな様相になるとは、夢にも思わなかった。
今、過去の日々を思い出し、あの頃を振り返っているのは、LUNA SEAのアルバム『MOTHER』(1994年)を聴いているからである。私にとってこのアルバムCDは、深い因縁の塊なのだ。
消えないゴースト
全てが若気の至りだった。幾度か公演をやりこなして、芝居が面白くなってきた、ということから徐々に反比例していき、演劇としての体裁はある時期からごっそりと消えてなくなった。そこで亜流のコント劇団と化したのである。
こんなはずではなかった、と思った。そうして自分がお笑い芸人と成り変わる寸でのところで、私は脱することができた。
逃げることであらゆる非難を被ったのは当然のこと。しかし、続けるだけの意味がないのも道理であったし、いわば危機回避のための《帰還船》で自力で脱げだし、あとに残された者たちも、やがて気づいたのだろう。ぽつぽつと数年かけて同じような意志と行動で《帰還船》はたち動いた。その脱出者たちが、人生の求められるべき在り方に《帰還》できた――のは、何より幸いなことであった。
私にとっての《帰還船》とは、おそらく――『MOTHER』の音楽だったのだ。
あれを聴いているうちに、じわりじわりと気づいたのだった。
ほとんど同い年の彼らが、ロックバンドとしてあんな素晴らしい楽曲を紡いでスーパースターになっている。それに比べ、自分自身は見果てぬ夢ばかりを追いかけ、結局なにも築けていないじゃないか。
自らの責任から、誤った方向への軌道修正を余儀なくされ、自分のやりたいスタイルへ向かわなければならないと思ったのだ。それは夢の上書きでもあった。
しかしながら後年、この判断は正しかったと納得できた。

いっぽうで、英国演劇やアメリカ現代文学の思潮を少しも知らない、顧みない愚者たちが、あのまま、なんと30年を経てもまだコントをやり続けているのだ。稽古をしない――。だから演技の基礎が全く身についていない。かっこよく見えるテレビのお笑い芸人をただ真似しているだけのこと。
やり続けるのは、自分たちの意志なのだからいっこうに構わない。だが、私からすれば、仲間内で傷を舐め合っているようにしか感じられないのだ。なぜ昔と同じ団体名を誇示しているのだろうか。まるで別物なのに――。
人の褌で相撲を取るなと思う。いまさら気炎を上げ、お笑い芸人の真似をしたって、所詮アクの強い残滓で自己満足しているだけなのだから、誰のためにもならないではないか。何の教養にもならない。彼らはその旗をなぜか降ろさずにいる。他に居場所がないからだ。もうすでに本来の自分自身に《帰還》することができなくなってしまったからだ。
構うことはない。が、あの頃の私たちが目指そうとしていた演劇への夢とは、全く別物であることははっきり断言しておく。私たちの夢の兆しから産まれたものだとは、口が裂けてもいわないでほしい。
愚かしくも、その筆舌に尽くしがたいゴーストは、いまも地元の或る場所で、彷徨い続けてしまっているのだった。
『MOTHER』との出合い
顧みる。
いま私は、19歳だったあの頃の私と仲間とが、演劇の小さな種をまいた時、そこで立ち上げられた本流の演劇的思想や資質が徐々に形骸化され、歳月を経て別物になってしまったことを書き連ねた。
この責任は、自分にあるのだ。今としては何も残っちゃいないこと。哀れであること。無惨としかいいようがないこと。ひっくるめて、あの頃、軽はずみなスタートアップだったのだ。責任は、自分にある。
若気の至りで盛んであり、徐々に演劇の本流から外れてきたことを自覚し、憂いの中で《帰還》を決意した時、片腕にあのCDがあった。そう、あのCDは、ある時仲間の一人から贈られたものだったのだ。そうして悲しみの少女との別れを想いながら、夜な夜な『MOTHER』を聴き、無限のファンタジーを紡いだ。
かけめぐる『MOTHER』のサウンドは、自己の少年性と、大人としての性愛と、人生に対するやりきれなさと、あるいは、孤独さと夢が壊れていく悲しさとを具象しているかのようで、とても温かかった。
そう、温かかった。あの音楽は私にとって柔らかく優しかった。
だからこそ、決断することができたのだ。ここを去らなければならないと――。『MOTHER』と出合えたことで、私はかろうじて救われたのだった。

母体(母胎)としての音楽
現実にあったことが、今となってはまるで小説に書かれた想像上のエピソードのように、肉を持たず実を持たず、本当に空疎としかいいようがない。しかし、それは本当にあったことなのだ。そう自分にいい聞かせて、あの頃を振り返ると、不思議に思う。
あの頃――。
アルバム『MOTHER』の1曲目、「LOVELESS」を聴いて感じられたのは、愛のない悲しみに暮れた、この世界への手向けだった。前奏曲としてはふさわしい、LUNA SEAが紡ぐ暗闇の世界観にいざなわれた。
「LOVELESS」のイントロは、緩やかなフェードインで、RYUICHI(河村隆一)のローブローをきわどくかすめるような重い声(サンプリングされたヴォイスのフィードバックエコー)で始まる。そしてきらびやかなギターのフレーズが聞こえてくる。さらにそこから、バスドラのリズムに合わせて太いベースラインが奏でられ、この曲のベーシックなパターンがさらけ出される――。
私はこのイントロの、厳かで重力感のあるサウンドに体が震えだし、身悶えしたのだ。あの時。あの瞬間。
悲しみに包まれた性愛は浮遊し、着地点を求めて彷徨った。闇の空へ飛び立ったサウンドは、「ROSIER」や「AURORA」、「TRUE BLUE」の曲を経て、最後に「MOTHER」へとたどり着く。
私は愛する少女と別れゆくことを決意したし、その先の未来へ飛び立っていくメッセージが、この最後の「MOTHER」の曲に込められているようにも思えた。決して幸福は、己の身に戻ってこないことを知りながら。
LUNA SEAのアルバム『MOTHER』は、私にとって、決別をうながす作用点となった音楽だった。
時が過ぎて、断絶の日
2011年3月11日の東日本大震災。
この日から始まったとてつもなく大きな災禍をきっかけに、私は自己のわだかまりの、ある種の拒絶感を取り除こうと決断し、その1年後、およそ15年間袂を分かち距離を置いていたコント劇団のメンバーたちと再会を果たしたのだった。
親交は意外にも深まり、時には楽曲制作で協力することもあった。2019年には、ある1本のショートフィルムの制作で、一部のメンバーと協働的な活動もおこなったりした。
2022年、メンバーの一人のSNS上の卑しいポストを発見し、またたく間、再び絆は瓦解した。私はショックのあまり、ことばを失い茫然とした。
これほど嫌気が差した出来事はなかった。かつてのわだかまりは修復され、そしてまた深い疵ができたのだ。ここからの修復はもうないだろうと思った。2012年以降の10年間に及ぶ、アーカイブされていたコラボ作品の楽曲を全て消去し、ショートフィルム作品も関係資料一切を含めて処分した。積み上げてきたものが完全に壊れ、あるいは意図的に壊し、それら全てを消し去りたかった。――事実、物理的にも観念的にもそうなることができた。
深い悲しみは癒えない。私たちは今まで何を生きてきたというのか。無念である。悲しい結末であるがゆえに、私は二度と彼らと交じることはないと、固く心に誓った。
ただし、傷は癒えないが、忘れることはできる。

新しい『MOTHER』から未来へ
2022年以降、私の生活信条はそこから、何もかも大変革したのだった。音楽を手掛けることはもうやらなくなったし、自宅のレコーディング・システムはすべて取り壊した。外野の演劇と交じることももう無いであろうし、関わることもしない。過去の記憶が少しずつ消えていき、あるいは上書きされ、自己は新しい生活に向けて解き放たれた――。
新しい友とのめぐり合わせ。
それは私にとって、第二の青春と同義であった。新しくできた複数の友とは、互いに愛し、愛され、交歓はより深く高まっていった。
そうした時、LUNA SEAの新しい『MOTHER』(セルフカバー・アルバム)が、眼の前に現れたのだ。2023年の暮れに近い頃、この新しい『MOTHER』は世に出たのだった。
正直、私はそのアルバムを待ち焦がれていたわけではなかった。オリジナルの古い『MOTHER』は、もうあれから28年が経ち、聴くことはなかったし、新しい『MOTHER』の誕生という出来事に、飄々とした態度で受け止めたのだった。
自分の中で、かつての『MOTHER』は終わっていたのではなかったか――。しかし、その『MOTHER』が、28年を超える歳月を経て、この世に戻ってきたのだ。あのトップの「LOVELESS」のサウンドが、再び私の脳内を駆け巡った。

それは数奇なデジャヴであった。消し去ったはずの過去が蘇り、私はしどろもどろとなった。
RYUICHIの声が、若き日のそれとは別の、もっとたくましく従順に洗練されているかのようで、危なげがない。尤も、危なげの「LOVELESS」は古い『MOTHER』に記録されているのであって、そこから上書きされた人生の明暗やら苦難を、むしろ読み解くべきなのだ。私にとっては、その鏤められた新しい声が、自己の未来を暗示してもいて、頼もしく感じられた。過去を振り返る必要はもうないのである。
若い頃――とくに私にとってそれは20代における10年間――は、大きな夢を追いかけた代償として、10代までの最も親しかった友を失い、異性との関係をも失い、愛を見失った。そこから紆余曲折の20年を経て、ようやく新しい友との愛を築き上げた時、その同じ瞬間に、LUNA SEAの『MOTHER』が蘇った。因果とはまさにこのことだ。
それは概ね、悪い行いのきっかけと結果を指す。が、この場合、そうとばかりはいえない。むしろ、悪い意味の因果を、善き因果に変えることができたのだ。出会った音楽とは、そういう効果をもたらすものかもしれない。
愛なき時代は終わり、愛ある時代へと進化した私の人生。音楽アルバム『MOTHER』の存在が、そこになんとなく漂い、全てを物語っていた。
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