
バナナのジャケットのCDアルバムに聴き惚れる。思わず、そのぬるっとした世界に溶け込んでしまったりする。
鮮やかなロックンロールと、霞みがちな淡いロックンロールのテイストのちょうど中間に、調和されたサウンドが際立っていて、確かな余韻がある。我が意を得たり。
ところで、“余韻で人生を繋いでいる”とnoteに表明したのは、ひろひろ(ナギ)さんだ。
あー楽しかったと思える多幸感の記憶の断片を、いくつかそこに例示してあって、それには私自身もなかなか共感できる部分があった。ノリで行っちゃうディズニーランドとか、《微睡のファミレスに広がった冷たい山盛りポテトの記憶》って、もうそれだけで青春の何か――だと思う。
そういった日常の「楽しかった出来事」の断片こそが、心地良い余韻となって、明日も生きてみようじゃないかと思える糧になっているのだということを、おそらくひろひろさんはそこで述べているのだろう――と私は解釈するのだが、私自身の中で、それに等しいのは何かというのを、やっぱりいろいろと思い馳せてしまうものだから、ここで書いてみることにする。

mas氏のマネをして始めた自己表明活動
いまこうして私が「書く」ということに喜びを感じられるようになったのは、かつて私淑したmas氏のおかげなのだった。
その昔、ウェブ上でmas氏が開設していた、趣味のクラシックカメラのサイトを発見し、バルナックライカなどで撮影したモノクロームのフォトグラフと、それに併せて投稿されていた軽妙洒脱なテクストに惹かれ、自分もこういうのをマネしてみようと思い立ったのが、今日の私――青沼ペトロのウェブサイトやSNSの出発点なのである。
しかもそれは、演劇から身を引いた後の窮乏と孤独の日々からの脱却をも伴っていたのである(「それは忘れがたい写真から始まった」参照)。
私の人生の喜びや多幸感の余韻――すなわち「楽しかった出来事」の断片は、学生時代で一旦途切れ、mas氏のウェブサイトを発見して再び召喚された感じで、「書く」ことに向かっていなかったならば、私の人生は、それこそどこかで、完全に事切れていたかもしれない…。
それ以降でも、挫折感を味わう経験をした。
しかし今、心を許すことができる真の仲間がいる。友がいる。私の人生は、ある意味ここで既に昇華され、往生しているのであった。

釣りをすることで分かち合えたこと
私は最近、よく釣りに行くようになり、そこで向き合う仲間とは、いわば心と心の付き合いともなっていて、ほとんど《家族》と代わり映えのしない親近感に満ちたものだ。
釣りをしながら交わすことばは、「余分な愛」ともいうべき、生暖かなもので、それが余分であるがゆえに、収まりがつかない何かの性質を帯びていたりもする。
釣りのフィールド。
沼地の周縁に踏み入る両足の靴が、次第に汚れていく。やがて、身体的な負荷が生じてくるころになって、本当に仲間の彼らとのダイアローグ、あるいはそれ以外の他者であっても思いやる優しい気持ちというものが、一つの大きなこころざしとなって研ぎ澄まされた感じになる。
とどのつまり、それは、〈明日もあなたと生きてみようか〉とお互いが欲していることを悟り、はにかむような余韻。無言の瞬間は、その気持ちの反復のせいなのだ。
だからこそ今思えば、自分の若かりし頃のこころざしが、皮相的で馬鹿馬鹿しいものに感じられるのだった。

オフであろうとオンであろうと
そう、最近――また「復帰」してしまったのだった。SNSのインスタグラムとスレッズ。
そこで何かを意気込んで発信してやろうという企ては、今のところあるわけではない。が、SNSもある種の《空間》だと見立てれば、日々のそのポスティングで掬うような余韻をそこで紡いだっていいじゃないか。
みなさん、本当にごめんなさい。
私自身、美しいものなんて何一つ持ち合わせていないし、提示できない。けれども、愛する心と表裏一体の切なさというものを、ようやくわかりかけてきた気がする――のです。だから。
だから――。
こんな私でも、メッセージの一つや二つぐらい、幸せなことばで投げかけることはできるんじゃないかと思うのである。
楽しい余韻で人生を繋いでいくって、素晴らしいことだと思う。ひろひろさんの近頃のそんな表明で、私はいろいろと気づくことがあった。
また今日も、バナナのCDアルバムを聴くだろう。ちょっとばかり、アブナイ歌詞も出てくるけれど、私には合っている。美しいだけが能じゃないって、思いたいのだ。ラン、ラン、ラン――。
追記:このバナナのCDアルバムに関しては、いずれ別稿で。
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