
全く個人的な調べ事をしていた挙げ句、つい最近のことだったけれど、「ワンレン」、「ボディコン」、「ジュリアナ東京」について思い起こすことがあった。意外ながらも、そのビジュアルの奇縁なる風雅に酩酊している最中、ぽんと目の前に現れたのが、どういうわけだか高倉健さんの顔だった。風雅が一瞬にして消え、私はあっけにとられた。
目の前に現れたのは、佐藤純彌監督の東映映画『新幹線大爆破』(1975年)の高倉健さんのビジュアルだったのだ。ならば、「ジュリアナ東京」は後回しにしようではないか?――。
いや、そうではないだろう。最初から『新幹線大爆破』について書くつもりだったのだから。片や90年代、片や70年代の風景風物。ずいぶんとえらく、画風の異なる時代を私は生きてきたものだと感心した…というより、正直、驚きを隠せなかった。
そう、その世界は根本からまるで違うのだ。同じ日本とは到底思えない。思えないが、事実として、日本では革命は起きず、強固な保守主義の一辺倒で継ぎ足し継ぎ足し、そのてっぺんで迎えたのが、あの「ジュリアナ東京」だった。いや、もうその頃は下り坂だったか。
ともかく私の脳内は、そこで幾分か混乱が生じたのだった。若い女性たちの、はち切れんばかりの快楽。それとは裏腹に、男臭く、憂いに満ちた絶望の物語――。映画『新幹線大爆破』は、70年代の時代背景をスクイーズした、画期的な作品だった。
憂いの時代背景
“新幹線”が“爆破”される妄想を描いた、その時代の予兆を炙り出してみよう。
トラウマとなった「あさま山荘事件」
私が生まれた1972年(昭和47年)は、ちょうど空前の結婚ラッシュだった。出生数はこの1年で205万7,000人。これを「第2次ベビーブーム」と称する。また、1971年から74年に生まれた世代を、団塊世代の子ども――という観点で、いわゆる「団塊ジュニア世代」とも呼ばれた。
0歳の私が、この年の2月28日に起きた「あさま山荘事件」を直接知るわけがないだろう。とはいえ、何かしらの身体的感覚により、この事件の漠としたものを断片的に見聞することにはなる。つまり、あの事件はこういうこと。
――とある山中で、左翼の過激派幹部らが逮捕…。逃げた連合赤軍の5人が、長野県のあさま山荘に人質を取って籠城…。そこでは、のべ9日間にわたって警察隊との銃撃戦及び武力行使の抵抗が続く…。籠城した男が、ライフル銃を持って構える。あるいは、大きな鉄の球が振り子のようにして山荘の壁を突き破る。突き破る。突き破る。山荘がぶっ壊れる…。そういう生々しい緊迫した中継映像が、テレビでよく繰り返し流されていた。全容としては、どこをすくってもすさまじい事件であった。
これはもう時代の皮肉な表現にしかならないのだ。「団塊ジュニア世代」の子らは、どこかの世代のように、健やかなディズニーのアニメからこの世の中を知るようになる、ことはなかった。真っ先に「あさま山荘事件」だった。あるいは、別の世代のように、煌びやかなSMAPや嵐などのアイドルグループのダンス・パフォーマンスを生まれて初めてテレビで知る、ことはなく、あくまで「あさま山荘事件」なのだった。目に映るものは、ライフル銃、鉄の球、ライフル銃、鉄の球。
むろん、その頃だって、テレビスターはいた。しかし、どうあがいたって転んだって、サイコロを振り直したとしても、出てくる目はたった一つ、「あさま山荘事件」。
主にそれはテレビの映像によって、私という赤ん坊は繰り返し繰り返し、何度も流された「あさま山荘事件」の中継映像によって、そのきな臭い泥沼化した乱闘の様子を、にわかにこの世の全てととらえて身体的感覚が唸ったのだった。どんよりとした曇り空よりも暗い、暗黒の世界としか思えないものであり、このトラウマ化は避けられないものであった。言いかえれば、私という人間は「あさま山荘の子」なのである。

ユリ・ゲラーに宇崎竜童
でも、楽しいことだってあったのさ。この年の秋、テレビや新聞などで、ランランとカンカンのパンダが話題となり、人気を博した。たぶん後年、親に連れられて、都内の上野動物園のパンダを観に行ったのかもしれない。
一方で、私という赤ん坊の、成りたての人間の耳に届いた、ちあきなおみさんの「喝采」は、実にシュールだった。この年に大ヒットした曲で、そつがなく、物悲しい。時代をよく表していた。
翌年(73年)4月、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)が亡くなる。
テレビドラマ『刑事コロンボ』が始まる。
オイルショックがあった。トイレットペーパーが高騰し、買いだめでスーパーを急襲する“主婦”の女性たちの映像が、テレビのニュースで何度も放送された。
それから翌年(74年)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)の「モナ・リザ」(La Gioconda)が日本にやってくる。長嶋茂雄が現役引退。スプーン曲げを披露するユリ・ゲラー(Uri Geller)氏の人気で、超能力・オカルトブーム到来。
1975年(昭和50年)。
『ウルトラマンレオ』の最終回。初代ウルトラマンから永く続いた円谷プロのウルトラマンのシリーズが、これでいったん終わる。ウルトラマンでさえ、オイルショックなどからの物価高騰の煽りで、金が無い。作れない。もう続けられない。金が無ければ地球から去っていくしかないのだ、宇宙のヒーローだって。それはそうと、この年、宇崎竜童率いるダウンタウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」がめっぽう好きになる。
7月、『新幹線大爆破』公開。主演は高倉健、山本圭、宇津井健、千葉真一、織田あきら。
8月、日本赤軍の武装グループが、クアラルンプールやスウェーデンの大使館を占拠。アメリカ領事ら52人を人質に取る。日本で拘置中だった過激派グループ数名の釈放及び航空機の派遣を要求し、日本政府はそれを受け入れ、釈放犯のうち5人がクアラルンプールに移送され、赤軍らと共にリビア政府に投降。
11月、公労協の最大級の統一スト。のべ8日間にわたり、国鉄、都市交通、高速バス、郵便、電信、電話が前代未聞のスト決行。
翌年(76年)2月、「ロッキード事件」発覚。
この年、ピンクレディーが「ペッパー警部」で鮮烈にデビュー。キャンディーズにはないエロティシズムをミーとケイに感じ、幼い私は見よう見まねで腰をフリフリしたものだ。
これら前後する社会風俗をもって、私はいま、映画『新幹線大爆破』のなんたるかを際立たせようとしている。が、とどのつまり、3歳の誕生日を迎えた私の心の内に、遠い存在のタカクラケンとヤマモトケイが、大犯罪者となったのである。

ノンプロとノンセクト
私の幼なじみの野球少年Nくんは、かなり年少の頃に、「ぼくはノンプロで野球をやるよ」と豪語していた。
私はそれを聞くたびに、首をかしげたのだった。Nくんはあんなに野球が好きで得意なのだから、「プロ野球に入る!」とか「プロの野球選手になる!」といえばいいのに、公然と周囲に、「ノンプロで」と漏らしていた。
このギャップは何か。私は率直に告白するけれど、その頃、野球の“ノンプロ”の意味がわからなかった――。
この話と同様にして、映画『新幹線大爆破』の犯人グループの一人である古賀勝(山本圭)が、もと「城南大学」の「理工科」で、「全学共闘」の「ノンセクト」だという映画の中の個人履歴も、子どもの頃はなんのことだかさっぱりわからなかった。
いやいや、「全学共闘」が学生左翼であるくらいのことは知っていた。あの頃、どこの大学でも、あるいはどこの高校の文化祭でも、あからさまにそれっぽいバリケードやらプラカードを並び立てて、むしろどうでもいいというくらいにしかチャカしていないにもかかわらず、さも時代の風潮である学生たちのレフトウイングを模倣し、うわべだけ担いでいたのをこの目で見ていたから。でも、さすがに、「ノンセクト」がわからなかったのだ。
学生時代に「ノンセクト」だった古賀が、沖田哲男(高倉健)の男気に惚れて傾注し、なれの果てに過激派に転向した――という解釈ができる。その画期的なアイテムが、爆弾をある一定の走行速度によって自動点火させるための「電磁式速度計」であった。『新幹線大爆破』とは、そういう破壊行為にロマンティシズムを感じさせる映画なのである。
そう、「ノンセクト」。
私が直接見たことがあるのは、昭和時代の新宿の、某書店の文芸コーナーでドストエフスキーに絡め取られた長髪・ジーパン姿の「ノンセクト」。つまりそれは、レフトウイングのアングラ演劇人であった。見るからに貧乏そうで、体格は小さく痩せ細っていたが、ぎらぎらとした野性味のある意志の強さだけは伝わってくるようだった。政治体制は根本から間違えているんだよと。まるでおとなしめの古賀が、そこに立っているかのような情趣を醸し出していた。
哀しみの男・沖田哲男の存在を忘れてはいけない。
革命家――そうした「ノンセクト」あがりの古賀と意気投合し、なおかつもう一人、沖縄出身の青年・大城浩(織田あきら)とも運命的に出会う。しかしながら皆、真底、金が無いのであった。
国鉄・東海道新幹線のひかり号に爆弾を仕掛け、その国鉄に500万米ドルを要求。えらく大がかり、大仕掛けすぎた無謀な計画ではあった。案の定、浩は事故死し、古賀も逃げ場を失って爆死してしまう。
一方で、国鉄・新幹線の運転指令室長である倉持(宇津井健)という男は、爆弾を仕掛けられたひかり号の乗客の救出作戦に全力を尽くし、最後はとうとう尽き果ててしまうのだった。
いや、そうではない。
彼の上役の指示により、万が一の場合に備え、終着駅での経済的大損失を避けるべく、已むを得ず、手前の地点の閑散とした田園地帯で列車を自爆させるよう責任を負わされる。そうした乗客の命を見限った職務上の自己矛盾に駆られ、彼は辞職を決意するのだった。
§
日本という一等の経済大国にのし上がった、いわば「スピード」と「安全神話」を掲げてそれを信じて疑わない時代における、それぞれの男たちの立場、人生、去来する夢の数々。
己の自尊心と合わさってそれらが交差し、全ての男たちが、時代に飲まれ、砕け散っていく。
こんなはずではなかったと。こんな日本ではなかったはずだ――。
砕け散る時代を“遠い昔話”と揶揄するどころか、いまの日本はそれよりも最低なのではないかと。いったいどうなっているんだ日本人は…。あの頃よりも貧しくなり、心が折れてぐだぐだになってしまっている。つややかに、誇れるものが何一つ残っていないではないか。
だから恐ろしくも、『新幹線大爆破』が心に響いてしまうのだ。
このまま日本という国がダメになっていくとしても、これだけは――と守り通せるものは、ほかに何があるだろうか。個々がそれを見つけ、大事に持っていたらいい。
全てを失い人間を失ってしまったら、文字通り、私たちは人間ではなくなる。人間であるからこそ、人間である何かを守り通さねばならないのだ。そうしたことを考えるべき「時代の分水嶺」にいま、我々日本人は立たされている。
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