嵐を迎え、そして嵐は去ってゆく―新時代のバグる世界

 国民的アイドルグループ「嵐」(大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤)の解散報道が先日、メディアを駆け巡った。
 東京新聞の記事(2025年5月7日付朝刊)によると、2020年末をもって活動休止した嵐は、来年(2026年)春頃にメンバー5人でコンサートツアーをおこない、活動を終了するとのこと。これまで、本人たちの活動再開の協議は難航し、《その答えにたどり着くことは簡単ではありませんでした》とファンクラブ向けサイトの動画の中で述べ、直接感謝を伝え、直接パフォーマンスを見てもらう結論に達した、という彼らのメッセージの内容を伝えている。

3つのカウントダウン

 振り返ると、私が[Utaro Notes]で「嵐の活動休止宣言―3つのカウントダウンという大翼」を投稿したのは、2019年1月31日。当時の旧ツイッターではこんなふうにそれをお知らせした。

2019年1月31日
【ブログ更新情報】☞ブログ[Utaro Notes]更新しました!「嵐の活動休止宣言―3つのカウントダウンという大翼」。私が思っていることを綴りました。

Utaro/青沼ペトロ名義の旧ツイッターでのポストより引用

 もう6年も前のことだ。
 突然の報道で私はびっくりし、もともと旧ジャニーズ事務所や嵐のファンであったわけではないのに、なんだか「時代の断層」を通り過ぎていくかのような不穏な予兆を覚えたのだ。そこで私は、「3つのカウントダウン」を挙げていた。

 一つは、「平成」の年号が終わり、新しく「令和」の年号になること。
 もう一つは、翌年の夏に開催されるとしていた「東京オリンピック」。
 そして3つめが、「2020年12月31日」をもって嵐が「活動休止」するカウントダウン。
 しかしこれらは、まもなく忍び寄ってくる新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミック――日本では約3年続いたコロナ禍――によって、想像を超えるシナリオに向かっていったのだった。

嵐どころではなかった

 芸能界の、嵐の「活動休止」に絡まる双方の間接的なカウントダウンを表明することで、揺れ動く時代の流れを指し標そうとしていた2019年1月末の時点の私自身は、変な話、余裕をぶっこいていた。プライベートでは恋人がいたし、外野の時代がいかなる動向を見せようとも、親しい者との関係はさらに続いていくだろう、発展していくだろうと高をくくっていたし、安泰やら安住やらを感じていた。

 それが脆くも崩れたのである。

 19年の秋に親しい関係は消滅し、正直、言葉じりの「3つのカウントダウン」――来年末で締められる嵐の活動なんて、どうでもいいと思った。ファンの方々を傷つける気は毛頭ないし、書くとなると心苦しいのだけれど、率直にいってその時はそう思ったのだ。
 さらに輪をかけて災難だったのは、全世界を襲ったコロナのパンデミック。芸能界の話どころか、直接私たちの生活自体がすこぶる危ういものに陥ったのだった。今となってはちょっと忘れかけているけれど…。
 確か私は、休止直前の嵐の最後のテレビ出演(?)となった「紅白歌合戦」を観たような気がするのだ。しかしそれは、最初の思いとは裏腹の、淡泊な“チラ見”だった――ということは否めない。

解散を決意した嵐

 いずれにしても紆余曲折の中、彼ら嵐の5人は、来年の春で活動終了――とけじめをつけた。
 これはとても英断だと思う。
 私はてっきり、あの「活動休止」をもって、《時間》というさざ波によって「在った形」が打ち消されていき、もう遠い過去の出来事のように思われながらあやふやに滅していくものだと思っていた。そしていずれ、ことばによる表明だけの「解散」で終わらせる、それを地味に伝えるものと思っていた。
 ところが彼らは、しっかりとしたスタンスで宣言したのだ。ファンのために、パフォーマンスを見せて終わりにする…と。この判断は賢明だったと思う。それを私は100%支持したい。

 カウントダウンとは、そもそも「時が過ぎていく」ことの情動的なパフォーマンスなのだから、楽しいとか嬉しいといったもののみじゃないんだ、というのを私は学んだ気がする。
 それは、切なさ以上に、もっと深い悲しみを背負い、そうでありながらもそれを幾分か振り払って生きていくための、おまじないなのではないかと思った。だから本質的にカウントダウンは、「時が過ぎていく」ことの悲しみと、もう二度と過去には戻れない悲しみの合わさった儀式なのである。

がんばれ日本、がんばれ自分

 なんだかもう、当たり障りのないことばでこの場を締めたくないのだ。

 令和になって、日本は悪い方向に進んでる気がする。「協働」とか「協和」の観念が著しく薄れてきているのではないか。
 かつてにおける「和を乱さないで」という古い価値観と規律が、私たちの自由な心と尊厳を奪ってきた、あるいは縛ってきた面もあり、私はそんな時代に戻ってほしくはないと思っている。が、それにしても――という思いも別にある。

 もうちょっと、日本は、なんとかならないか――。

 嵐というグループが「活動休止」を決めて、個人の活動に注力していこう、そして解散という流れの中には、それに関わる彼ら当事者と多くのスタッフの考えや思いがぐちゃぐちゃになって交差していったことと、今の日本のどっちへいっていいかわからない部分が、酷似している。
 「協働」や「協和」の観念が著しく希薄になってしまった国が、再び経済大国の一等国に成り上がるなんて、もはやあり得ない夢物語だ。私たちは、一方のどちらかを選択してしまったのに違いないのだから、細々と暮らしていくしかないじゃないか。
 しかし、それでは未来の子どもたちが可哀想だ。

 いま、できること。今からできること。
 それは、個々が強いアドバンテージを持つことだ。
 強い信念。強い技術。強い寛容性。
 それらはいずれも近年の日本人に薄れてきた観念だと思う。鍛えるしかないのだ。自分自身の体を鍛え、自分の心を磨く。

 嵐を迎え、嵐は去ってゆく。もうすがるのをやめよう。たかるのをやめよう。自分の頭と手と足で、動いていくしかないのだ。そこで手を取り合えば、もう一人、救われる。

 そう、来年のその日、また嵐を書くことにしよう――。

関連記事

コメント

タイトルとURLをコピーしました