
思えば私は、今は無き旧ブログ[Utaro Notes]で、何度も心霊写真のトピックを取り上げてきたのだった。それは、幼い頃からのオカルト好きの名残であり、遠い記憶へのオマージュでもあった。今ではそうした名残は、すっかり薄れてしまっている。あまりにも遠い過去であるから――。
今となっては、“鬼のお面”を話題にした「〈再録〉拝啓心霊写真様」しか文章は残っていない。
そこに、心霊研究家・中岡俊哉先生の〔略歴〕を紹介していたのだった。今回取り上げる本は、“続”の次の“新”で、昭和52年初版である。“続”から2年後に出版されたこの“新”にも、同様の〔略歴〕が記してある。が、幾分か吟味されて経過事項が補足されている。以下の通り。
1926年に浪曲家の桃中軒雲右衛門の孫として東京大塚に生まれる。中国大陸で終戦をむかえ北京放送局でアナウンサーを勤める。1948年より超常現象の研究を始め、スーパーナチュラル関係の著書を続々と発表している。超常現象研究国際団体の役員としても活躍している。
中岡俊哉編著『新 恐怖の心霊写真集』より引用
さて、これからその中岡先生の、“スーパーナチュラル関係”の本を紹介する。
先ほどから申している通り、昭和52年6月初版(※昭和60年8月26版)の『新 恐怖の心霊写真集』(サラブレッド・ブックス/二見書房)である。
ここでいう“スーパーナチュラル”は、アメリカのジェンセン・アクレス(Jensen Ackles)さん主演のテレビドラマ『スーパーナチュラル』(“Supernatural”)と同じ意である。中岡先生は、戦後のオカルトブームの大火付け人なのであった。

友人たちが寄ってたかって霊になりけり
北海道に住むNさんは、自宅前で娘さんを撮った写真(昭和50年10月撮影)に怯えて、中岡先生に鑑定を依頼した。真ん中のセーター(赤色とのこと)を着ているのが娘さんである。
ごちゃごちゃと人が写り込んでいる。これらなんと、あっちこっちに写り込んでしまっている人物は、霊体で、娘さんの高校の「友達9人の顔」だという。しかも彼らは皆、存命中だったのだ。
こんなに若々しく元気で明るい霊体(しかも複数並んで)を私は見たことがないが、中岡先生はこれを清き正しく、《たいへん珍しい生霊写真》――と鑑定した。ずいぶんと思い切った鑑定である。
しかしながら私は、なんとなく妙なものを感じた。
中央の娘さんが――高校生の娘さんにしては――ちょっと年輩の女性に見えるのである。むしろ全体としては、「お母さんを囲んで、娘さんたちがにこやかに集まって撮られたスナップ」に見える。背の低い女の子のような生霊は、どう見ても高校生には見えないのだ。
私の眼にはそう見えないが、高校生の「友達9人の顔」が写った写真なのだといわれてしまえば、黙って引き下がるしかない。
はち切れんばかりの青春の日々に揉まれ、仲間との通い合いを現実世界の中で営んでいる“女子高校生たち”が、友の写真に入り込んでしまうほど、仲睦まじいのか、あるいはその無意識下の“生霊”というものの強さが、計り知れないのか。それが愛だったらこれほど嬉しいものはない――。
10月の北海道の陽気にしては、生暖かな秋の本州の風情を思わせるこの写真。何から何まで謎めいていて、幻惑性の濃い心霊写真ということにしておこう。

けしからん鑑定?
石川県の金沢に住むMくんは、とある山の、茂みの中の墓場の写真を中岡先生に送って鑑定依頼。
それがまた、《自信をもって提供できます》と豪語して、写真の中に「2つの顔」が写っているとし、《それほど古くない地縛霊だ》と自ら鑑定して先生に判断をあおったのだった。
ところが中岡先生は、ぴしゃりとMくんに「独断で決めつけてはいけない」と反論するのでもなく、彼の強気の鑑定を、むしろ「全面支持する」とした。こうなると、どちらが心霊研究家かわからない。
ともあれ、そのMくんは、別の写真も4枚送っているのである。
彼は、「アフタヌーンショー」のテレビ番組で紹介された、心霊写真の鑑定結果に不満げなのだった。
その鑑定は、ある写真大学の先生とのこと。Mくんは、《実にけしからん鑑定》だとして、「アフタヌーンショー」の心霊写真特集を観て、憤懣至極興奮してしまったのだった。
いやいや、彼がテレビを観て興奮していたかどうかは、知らない。しかし、このように述べている。中岡先生の鑑定は、あらゆる方面から多くのスタッフが協力して、何十日もかかって鑑定しているのに対し、そのなんたら大学の先生は、数分で鑑定してしまうのだと。
たった数分で!!!!
その先生は“写真の権威”とのことであるが、《私は心から憤慨するとともに、中岡先生以下が過去に味わってきた屈辱と狂人扱いを、私も心から味わった気がしました》――。
狂人扱い。
彼が送った4枚の写真は、そのテレビ番組で取り上げられていた写真のようである。明らかに彼は興奮しているようだ。
Mくんはいつもこのようにして「アフタヌーンショー」が始まると、カメラを構え、バチバチとブラウン管に向けてシャッターを切っているのだろうか。
昔はビデオデッキなんて無かったから、番組を録画することはできないし、やはり写真に撮るか、音声をラジカセで録る以外に方法がなかった。心霊現象マニアなら、Mくんのようなことを当たり前にやっていたのかもしれない。とにかく、彼の憤懣至極はここに全て表れている。
Mくんとしては、そこに霊体を感じているのだろう。しかし残念なことに、写真の先生とやらは、それを真っ向から否定する。だいたいどれも二重写しだ、現像ムラじゃないか…。心霊現象を取り上げる番組なんて茶番劇――とでも思っていたであろう内容の鑑定結果を出し、つまりは「心霊写真ではない」ことを説明したに違いない。
中岡先生はこのように述べる。
《私は、このテレビ番組を見ていなかったので、実際の状況も鑑定を行なった写真大学の先生も知らない。しかし、Mくんから送られてきた写真を見るかぎりでは、心霊にド素人な、自分の知識範囲でしかものを見れない人間の鑑定にすぎないと思う》
おそらくこの本が出版されて、これに関して読者のあいだで論争となった可能性はある。どちらのいい分が正しいのか――。
ちなみに私は、心霊現象の研究家でも鑑定士でもないので、どちらが正しいと見解を述べることはできない。でも、これだけははっきりいえると思う。あの時代、「アフタヌーンショー」もやったもの勝ちであり、中岡先生の『恐怖の心霊写真集』もやったもの勝ちだったのだ。「謎」と「恐怖」があればそれでじゅうぶんなのである。
この手の企画は、やればやるほど大衆の関心が高まり、視聴率が上がる。出版した怪奇ものの本は大いに売れる。賛否両論を含めて、そのドツボにはまっていくことで期待感がつのり、結果的には収益が伸びる。もうそれだけの世界といえば、そうなのである。

おじいちゃんの顔
あの頃はあちこちのテレビ番組で、心霊写真特集なるものが企画された。私も子どもの頃、よくテレビでそういう番組を見ていたが、だいたい夏の時期に連動していたものである。夏の風物詩といえば、“怪談”であった。
熊本市内の園児たちの遠足集合写真がある。これは、昭和51年に熊本放送テレビで取り上げられた写真だ。
いくつかの霊体が写っている――らしいのだが、はっきりとわかるのは、左端のひょっこりおじいちゃんの顔。老人の霊である。
古戦場跡で撮られた写真とのことで、中岡先生の鑑定では、霊体はかなり古いらしい。
古戦場だから中世近世のおじいちゃんの霊がぷかぷかとそのあたりにうろついていて、ひょっこり写真に写ってしまったということなのか。安直すぎやしないか。
いやいや、歴史的な古戦場に幼稚園児――というギャップもさることながら、園児たちの集まりに古き時代に生きた方が、「どれ、わしの孫によう似とる」と姿を現した――と思いたい。微笑ましいエピソードではないか。霊とはこのようにして、実に人間的でふくよかな趣で現れてくれるのである。決して怖い存在ではない。
幸せをつかむ霊の存在
フィルムカメラの弱点
久しぶりに中岡先生の“恐怖の心霊写真集”の本を眺めて、思った。
私がこうした本を読んでひどくおののいて興奮したのは、小学生の頃だった。
あれから長い月日が経った。この数十年間、日頃、デジタルカメラで撮ったピントの正確なシャープな画像に見慣れている。そうして比べてみると、昭和期のフィルムカメラで撮られたアマチュア写真家の写真の「不鮮明さ」に気づく。
当時の一般的なカメラの機構とフィルムの関係は、そのようなものだった。写真は本来、「不鮮明さ」の中から浮かび上がるきわどい描写を指していた。プロはそこを的確にとらえるが、アマチュアは技術的にそうはいかない。だから、不鮮明のままであることが当たり前であった。
写真という描写の性格そのものが、心霊写真と名付けられるものになっていく大きな源泉、宝庫なのだ。
つまりその全体像の「不鮮明さ」から、ミステリアスな感情が沸き立つのである。ぼんやりとしている背景。フィルムの手動での巻き上げが不十分である際に起こりうる、二重露光。
前のコマのままであるにもかかわらず、違う被写体の像がそこに重なって露光されてしまう現象が、あの頃のカメラでは大いに起こりうるのだけれど、そうしたフィルムカメラの弱点に気づかない者は、その二重露光の写真におののき、「霊体」ではないかと想像を掻き立てる。
こうした心理的なからくりが、心霊写真ブームの核心ではないかと思うのだが、もはや心霊研究家の鑑定を待たずして、写真の素人がそれを「地縛霊」だとか「浮遊霊」だと断定してしまうくらいに加熱していったのだった。
心霊写真は幸せへの道しるべ
そもそも、その1枚の写真を心霊写真と断定する者はいったい誰なのか。
それは、心霊研究家ではない。撮った本人、もしくはその写真を手に取って観察した者たちが、既にそれをそう断定しているのである。
出来上がった心霊写真は独り歩きし、心霊研究家は後出しジャンケンで“生霊”ともいわざるを得なくなる。いわば共犯のオカルト信教なのだった。
だが私は、そうしたオカルトの話が、テレビが、本が好きだった。熱狂的な心霊写真ブームが好きであり、他者の写真の中から、ゾクゾクとするような霊体に出会いたいと思った。
その点でいうと、残念なことに『新 恐怖の心霊写真集』の第3弾は、少し陰りが見えていたというか、安直な心霊写真が多かったように見受けられる。撮る方のネタも尽きた――感があった。
加熱していた時代を振り返って、いま私の中でそれが再燃することはもはや、ない。
ただし、亡き家族の霊と対話する私自身は、心霊現象を否定したとしても、心霊への親和性を否定するものではない。
この点は多くの人たちに、賛同してもらえるのではないだろうか。亡き家族に、「おはよう」といい、「おやすみなさい」と毎日私はつぶやいている。しかも時々、自分が苦しい心情に駆られた際に、亡き家族の霊にすがり、打ち明けることだってある。それが私の日常の、安寧につながっていると思っている。
そのようなところで、私の心霊写真トピックは、この稿を最後に閉じることにする。
心霊写真の役割があるとするならば、見えぬものとの対話、見えるものだけが全てではないということを人々に教えてくれているのだ。
心の安寧と解決は、霊的なものとの対話以外に方法はないのである。
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