男のサガを売りにする男たちでバグる世界

 のっけから卑猥なことばを用いて恐縮だけれど、こいつらチンチンがついてるから男なんだと認めてしまうのは、もう時代遅れなのだということを、この稿の結論として先にいいたいのである。

 男の性(さが)をサーガ(Saga)として自己演出しながら話題を振りまき、訝しく仕事をかっさらってニヤリと笑う男たちを、私は人間のクズであると思う。

 そのクズ野郎であるがゆえに、近づけばトゲが刺さることは承知していても、こうしてそれを文芸の生き血にしたくなる私も含めて、どうかしている。――しかし、いうじゃない。“鬼も十八、番茶も出花”って。
 私はやっぱり、極旨の玉露をいただくよりも、スーパーで買ってきた安い番茶がとびきり美味かったりする喜びのほうが、好きなのである。彼らはイケメンで若いから話題にされる面もあって、そうでなければ、字数をうめた洟紙にもならないだろう。

 こんなクズ野郎たちをここで取り上げるのも狂おしい。

マエヤマのアリノママ

 もう2年遡る話だが、『週刊文春』(文藝春秋)2024年9月12日号のトピックに浮上していた、元俳優・前山剛久さんはその当時、“俳優業への復帰”を目指して意欲的であった。その高らかな宣伝の材料として、ついうっかり(?)漏らしてしまった神田沙也加さんに関する告白――本当はたぶん計算済みだと思う――が全く矛盾だらけで、世間から冷たい視線を浴び、すっかり愛想を尽かされたという状況を、思い出してみたのだった。

最悪のYouTubeチャンネル

 2021年の夏に舞台共演がきっかけで交際が始まった、前山さんと神田さん。そして公演が続いていた中での、神田さんの訃報。なんと前山さんには、別の恋人がいたのだ。それで神田さんは思い悩んでいたらしい。これを悲劇といわずして、なにを悲劇というのか。
 前山さんによると、神田さんとの交際期間はたった2か月ほどで、彼女が亡くなった時、「既に別れていた」という。彼女とは結婚を前提に付き合っていた…墓参りをしたいと彼女のマネージャーに連絡したが断られた…俳優をもっと続けたい等々――。

 そんな彼の話題が、2026年3月に再び浮上して騒然となる。
「前山剛久 メンズラウンジ退店を報告」

 六本木のメンズラウンジ“CENTURY TOKYO”で、真叶(まなと)という名で働いていた前山さん。
《社長とお話して、現在在籍しているメンズラウンジを一度退店する運びとなりました》
《これからの進退は追って、報告させていただきます。申し訳ございませんでした》

 “CENTURY TOKYO”の代表YUKIYA氏のYouTubeチャンネルに出演した前山さんは、YUKIYA氏とのトークの中で、「Kさん」というイニシャルを用いて語りだしたのだった。むろんそれが神田さんを指していることはいうまでもない。
 当時他に付き合っていた女性がいたこと。そして仕事に悩んでいて、結果を出すために、Kさんを選んだこと。《元カノではなく、この子のほうがいいかなと思って》――。

 それは実に不愉快な内容だったのだ。
 結局、YUKIYA氏は、「軽率で配慮に欠けた内容だった」として謝罪。動画は削除され、反省の弁を述べた。この問題がきっかけとなり、前山さんはメンズラウンジを退店することに。自らの決断なのか、あるいは信頼関係を失い、結果的に追いやられたか。
 いずれにしても、これらの男たちは、世間で話題視されることを画策し、人の気持ちを平気で踏みにじることを厭わないクズなのである。
 前山さんは今年の2月、自身のYouTubeチャンネルで、《自分と同じように芸能界で仕事を失った人を救う活動がしたい》と語っていたようだが、なかなか骨に染みるいい回しである。何が世間で問題視されているのか全く理解できていないのが悲しい。

豪放磊落な東出さん

 さて、こちらの男――。

 以前、「愛だけでは成り立たないが気になってバグる世界」の中で、2020年1月に「不倫報道」で話題になったイケメン&イクメン俳優の東出昌大さんを取り上げた。濱口竜介監督の映画『寝ても覚めても』(2018年)で共演した唐田えりかさんとの不倫である。

 『週刊文春』の2024年9月12日号では、能町みね子さんの連載「言葉尻とらえ隊」(第611回)で彼が登場する。タイトルは「心根」。

 心根(こころね)って、個人的にはあまり使わないことばである。
 心の奥にある気持ち、心情、真情のこと。根性とか性根といったほうが的確か。

いかがわしいビジネス

 前回の時、その後東出さんが賞味半分“世捨て人”みたいに振る舞い、山籠りし、ハンター(猟師)となった話はしていなかった。一般では、既にこのことは承知の話題ともなっている。
 ハンターとは、山に分け入り、銃を持って野生動物を撃つ暮らしである。ちなみに先月、その東出さん(38歳)の話題が再び浮上している。山暮らし。再婚していたこと。容姿の面影は激変したこと――。承知の事実が、繰り返し繰り返し芸能ネタになっている気がする。

 で、話を戻すけれども、能町さんの「心根」では、東出さんの再婚相手についてふれており、その父親の“奇怪な存在感”についてが主な内容であった。

 元俳優、元モデルの、松本花林さん。
 山で生活していた東出さんと出会い、どうやら妊娠がきっかけで再婚を決めたらしい。2024年夏頃のこと。昨年の2月に第一子誕生…。むろんこれらのことは能町さんはふれていない。あくまで東出さんの不倫、山籠り、女性が複数押しかけ、妊娠、再婚、その相手は元俳優――としか記していない。

 能町さんはずばり、この元俳優の結婚相手がいかがわしいので、《数倍興味が湧いちゃう》と記している。
 彼女の両親が気になるという。
 父の松本孝一さんは「養生アーティスト」という肩書で、これがまたいかがわしいのだ。

パーキンソン病・統合失調症などの難病から復活するための「レッスン」を開いている。その内容は「個々の症状、状態から身体の力を引き出す為の実技指導、(略)疾患克服の為に不可欠な考え方から身体の使い方まで」と、具体的内容がほぼ不明。受講料は約60分で5万5千円とかない高額である。

能町みね子「言葉尻とらえ隊」「心根」より引用

 母の松本華奈美さんは、「才能開華ダイヤモンド女神プロデューサー」。いったいなんですか? それ?
 能町さん曰く、“ニセ科学本の代表格”である『水は答えを知っている』(サンマーク出版)の著者・江本勝氏の会社(オフィス・マサル・エモト)と契約を結び、高額な宝石をプロデュースするビジネスだとか。

 そんな両親の仕事を、花林さんも手伝っていたようで、明らかに家族はいかがわしいビジネスで連動している。親子共々、人々の不安と心配につけこんだマネー・ハンターのようだ。

心根ってなんなのさ

 東出さんはお父さんとなる孝一さんと会い、「いまの心根」と、「今後のこと」を聞かれたという。
 「いまの心根」って…なに?
 「心根」というのはどうやら、このお父さんの頑ななキーワードのようで、こだわりを感じる。つまり、心の状態の指向性が、その人の力をもたらす波動みたいなものになっているらしく、それがひどく気になるようだ。

 心の状態の有り様がその人の行動の源泉となるのは、考えてみれば、人間行動で当たり前のことであり、その人の心の作用で物事が働くのは自明である。
 よかれと思って行動したら、かえって災いとなることだってある。いちいちそのことを気にしていたら、人間生活は全部苦しくなってやっていけない。なんにも行動できなくなる。しかし、そこの解像度を上げ、やたら不安や心配を抱かせ、「心根」の指向性を改良すべく、わざわざ高額なお金を払って「レッスン」していくビジネス。これってひどく馬鹿げているし、いかがなものか。あまりにも怪しさに満ち溢れているではないか。

 能町さんも指摘しているが、孝一さんは東出さんの「心根」(の指向性)に好感を持ったらしく、東出さん自身も“ニセ科学側”の“才能がある”のでは?――という結論である。

東出さんの本当の魅力

 そうはいったって、私自身は、東出さんの人間性に深く興味がある。惚れているという意味ではないが。

 昨年から今年にかけて、東出さんの不倫問題やメディアに取材されるその都度の行動性、人生観などにたいへん興味を持ってきた。猟師生活を追っかけたドキュメンタリー映画だとか、文芸雑誌の対談――「狩猟」に関することや「愛情」に関するテーマの対談だったり――の記事を読んで、この人の生き方には、それなりに主体性があり、深みがあると思ったのだ。

 人は生きるために、何かをとらえ、空腹を満たさなけりゃならない――。食うことしかり、性欲しかり、出世欲や自己承認欲求しかり。だが東出さんの場合、そこがひどくぎらついているのである。人よりも何倍も。
 自分が俳優という職業を選んだから――という理屈で世間は納得してもらえるかもしれないが、本質的にはそういう性(さが)に生きる人なのだ。同族の主従関係や前後の遍歴に依存しない、厳しい自己規制と自己欲求を満たすための行動力がマルチフルに備わっている人。
 これは自分にとって、きわめて重い切実な思いだ――と思い込んだら、すぐに行動に移すタイプ。食うか食われるかの野性的な危機意識は、その都度の動物的感覚と経験によって過剰に反応し、それが行動癖を積み重ねていく。ここで動かなければ、食われるのではないか、自分が埋没してしまうのではないかという恐怖心に駆られるのだ。
 いうなれば、古代人的世俗感覚をもった現代人なのである。たとえば、英国の周縁地域の土着と開化文明の両方の感性を兼ね備えた人たちにも似ている。狩猟・採集と優雅な知的享楽に飛び抜けた感覚。

 だから、そういうのとは無縁の世界に生きる身内が「泣きっ面に蜂」を被ろうが、いかがわしいビジネスでざっくり金儲けしようがしまいが関係なく、今日自分の本心のみで生きてしまう。明日のこと明後日のことは別の事案。そういう生き方が、彼の底流にあって、俳優としても、人のなりとしても魅力を感じてしまう部分がある。

 理性とは、実に不愉快で不合理なもの。彼の厳しい自然感覚においては、なんの役にも立たない。
 無様で破廉恥でえげつなくて格好悪いような生き様を、品格良く描こうとしているメディアの側にこそ、問題がある。本質は無様であり、えげつなく、自分の家族を捨て、自分が今日生きるための別の家族をこしらえることは厭わない、またそれもいつしか捨てていく嫌味だらけの男なのだから、そう伝えるべきなのである。
 ズルいのは、自分を描いてくれるメディアを決して捨てないし、俳優業も捨てないということ。そこはやはり、か弱いチンチンをぶらさげた男の性(さが)をサーガとして自己演出し、少なからず話題を振りまき、訝しく仕事をかっさらってニヤリと笑う男として生きるためなのだ。要するに、人間のクズなのである。

 だからいったじゃない。玉露よりも、番茶も出花なんだって。

 人間のクズでいいと思う。破廉恥な東出さんを、ずっと見ていたいというのが私の正直な気持ちであるし、女性ならもちろん、男性の側から見ても、やはり本質的にはヒドい話なのである。そういう人を、できれば私はしっかりと見ていきたいのだ。

 彼らを称賛はしない。けれど、心根は、腐って尚発酵するものだ。

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