一筋縄ではいかない大人の恋が終わりを告げようとしていた時、偶然、その歌を聴いたのだった。
それは懐かしい映像だった。原田知世さんが歌う「天国にいちばん近い島」(作詞・康珍化、作曲・林哲司)。
風邪をひいて咳込んでいた私の弱々しい体は、たちまち熱くなり、その遠い記憶の影にふるえた。
腐れ縁の友と『天国にいちばん近い島』
小学校から工業高校まで腐れ縁だった幼馴染みのHの、“原田知世愛”のエピソードを、2年前の「〈再録〉遅ればせながら『早春物語』」に記した。Hは明るい少年で、原田さんにあこがれを抱き、その“推し”を超えた真剣な眼差しは、熱い血潮がたぎるほどだった。
Hはあの頃、映画『天国にいちばん近い島』を観ているのだ。小学6年の冬。なんだかおぼろげながら、彼があの映画について語っている姿を思い出すことができる。教室で彼は、自分が“あの島”で体験してきたかのように語り、私はそれをほとんど受け流すように聞いていたのだと思う。もしかすると私はおちゃらけて、彼に無頓着な質問したのかもしれない。
「ねえ、天国にいちばん近い島って、いったいどこなの?」

『天国にいちばん近い島』は、1984年12月15日公開のいわゆる“角川映画”。
監督は大林宣彦。主演は原田知世、高柳良一、峰岸徹、赤座美代子、乙羽信子、松尾嘉代、小林稔侍、高橋幸宏。
原作は、森村桂。
少女がひとりでニューカレドニア島に行った
16歳の内気な少女・万里(原田知世)は、幼い頃に亡父が話してくれた、“天国にいちばん近い島”に行くことを決心し、母もそれを認めて一人で旅にゆかせる。あの時万里の父は、彼女にこんな話をしてくれたのだ。
《そこはね、神さまのいる天国から、いちばん近い島なんだ。いつもおひさまがあたっていて、明るくって、とってもあたたかなんだ。だから、島の人たちは、みんなみんな、いつも幸せなんだよ》
そのことばは、ずっと万里の頭の中に刻印されていた。まもなく17歳になる頃、その父が死んだ。万里は冬休みを利用し、たった一人で、南太平洋のニューカレドニア島(Nouvelle-Calédonie)へ旅立ったのだ。

メリークリスマス――。
飛行機が着陸した本島(グランドテール島)の首都ヌメア(Nouméa)は、オーストラリアの東の珊瑚海に囲まれた半島で、それは夢のように美しい町だった。透き通るような青い空との調和。山並みの観光の街。人々の暮らしもにぎやかで闊達だ。
どこを見ても、美しい景色がひろがる――。しかし万里からすれば、それは父が話してくれた“天国にいちばん近い島”とは何か違うのだった。
万里は街で自転車を借り、あちらこちらの場所をあてどなく探し求めた。父がいっていた“天国にいちばん近い島”から見える景色はいったいどこなのか。
そんな時、思いがけず現地人の日本人青年と出会う。
タロウ・ワタナベ。
日系三世の、少し年上の青年。彼が運転していたトラックから、積み荷のヤシの実がゴロゴロと坂道を転がって、万里は驚いて転んでしまったのだ。少しケガをしてそれを気遣う青年。メガネも壊してしまった。「ゴメンナサイ」とタロウは謝る。そんなやりとりをして、お互いに名前も訊かず別れた。でもそれが、万里にとってたった一つ楽しい出来事のように思えたのだった。
万里は、ツアーの周遊中、タロウのことが気になって気になって何も楽しめないでいた。彼はどこに居るのだろう。また会えるだろうか――。それから、なんといっても“天国にいちばん近い島”から見える景色はいったいどこなのか? どんな観光スポットにおとずれても、万里の気持ちは落ち着かないままだった。
そんな時、現地の日本人ガイドの深谷という男に出会う。
彼だったら、ありきたりなツアーコースではなく、本当のニューカレドニアの、もっと別の場所に教えてくれるのではないか…。
そうして彼が案内してくれた場所は、海が見渡せる丘の上だった。
すでに陽は傾いていた。彼はいう。太陽が海に沈む時、水平線に「緑色の光」が見えたら、幸福がおとずれる…。やがて太陽が海に沈んでいった。君には光が見えた?
でも万里には「緑色の光」は見えなかった。少し後悔した深谷は、20年前に「緑色の光」を見た女性のことを話してくれた。万里は、その人と深谷が、とてつもない愛で結ばれた恋人だったことに気づく。
あくる日の朝、万里は街のマーケットへ出向いた。そこはいろいろな食べ物を売っているとてもにぎやかな場所。万里はあの時の青年を見つけた。どうして会いたかった人。「あなたに、会いたかった」。
やっとそこでお互いに名前を教え合うことができたのだ。ワタシはタロウ、アナタはマリちゃん…。
万里のいう“天国にいちばん近い島”は、きっとウベア島(Ouvéa)だと、タロウは万里に、その島へ船で行くことをすすめる。ウベアにはボクの友人がいます、だから、お金はいりません…。万里もそこへ行けば、きっと“天国にいちばん近い島”から見える景色に出合えるだろうと思った。
「タロウさん、ありがとう」
タロウはこういった。ニホンの“アリガトウ”は、ワタシの好きなことばです。アナタに似合います――。
“天国にいちばん近い島”はいったいどこ?
万里は船に乗ってようやくウベアに着き、海岸を歩いてみたのだ。ここは確かに美しい…。でも、“天国にいちばん近い島”がどこなのか、私にはわからない。お父さん教えて。もうすぐ帰らなくちゃいけないから――。
それでもとうとう、“天国にいちばん近い島”を見つけることができなかった。いったいどうすればいいのだろう。すっかり気落ちしていたそんな時、万里は浅い海の中で、エイを踏み、足を噛まれ、倒れてしまうのだった。
万里は現地の人々に助けられ、何日間かそこで静養した。そしてなんとか歩けるまで回復した。
かろうじてヌメアに戻ることもできた。だがもう既にツアーの行程は過ぎて、帰国便の飛行機は出発してしまっていて、次の日本人ツアー客が街におとずれていた。万里は出発便のキャンセル待ちのあいだ、一人でなにもかも行動しなければならなくなった。
ホテルの場所が見つからない…。
すっかり夜になってしまって、仕方なく停泊中の小さな船の中で野宿することにした。ところが、見回りの警備員に見つかってしまい、万里は警察署に連れて行かれてしまうのだ。
もうどうにもならない気持ちでいた時、あのタロウが迎えにやってきてくれた。そしてタロウは、万里を連れて自分の家の農園に帰り、ここにしばらく居てもいいと話すのだった。そうして万里はその日から、タロウと父と、妹のような女の子が住んでいる農園で過ごすことになった。

だが結局万里は、タロウの家を出ていかなければならなかった。ウベアに行くことをタロウに勧められる。万里は号泣した。
果たして本当に、“天国にいちばん近い島”を見つけることができるのだろうか。
ヌメアにおとずれたある婦人は、かつての戦争で亡くなった恋人の霊を弔うため、船でその場所におとずれる。万里も一緒だった。婦人と共にやって来ていた村田圭子はエッセイストで、深谷の昔の恋人だったのだ。その深谷とも再び出会うことになる…。
タロウはひそかに万里に恋していた。しかし、現地人の大人たちは、厳しく彼に諭す。観光客で来ている日本人は、お前とは違う。だからタロウ、あの子を好きになっちゃいけない。

Hは悟り、私は不毛の大地を歩いた
原田知世さん主演の映画『天国にいちばん近い島』は、そんなような映画である。私も半年ばかり前にようやく、この映画を初めて観ることができた。
あの時、幼馴染みのHは、私に何を語りかけようとしていたのだろうか。
Hは当然、映画の結末を知っていた。その全ての思いや感情を、私にどう説明すればいいのか。彼は一瞬悩んだはずだ。
そこである種の断絶が生じたのである。映画を観たボクと、映画をまだ観ていないお前とは、もはや語り合うことなど不可能なのだ。何が本当の愛なのか、映画を観ていないお前には、わかるわけがない――。
そのとおりなのだ。私は何も、知らなかった。
もしあの時、私も『天国にいちばん近い島』を観ていたら、Hともその愛について、本心で語り合うことができたのだろう。
それだけではなく、私がその数年前に経験した、淡い恋の失恋の痛手も、そこできっぱりと解きほぐすことができたかもしれない。また新しい恋に向かって、立ち直ることができたかもしれない…。
そうはならなかった私は、その後も苦悶を背負った。現実はそうだった。たった一つの映画を観なかった、友と共有できなかったばかりに、私の人生の一端は、大きく険しいほうへ推移したのだ。それはそうだと思うことができる。
愛くるしく歌う原田さんの「天国にいちばん近い島」の歌が、ずっと体に染み入って、耳に響いている。小学生だったあの頃にもっと聴いていなければならなかった歌が、長い間心の奥深くの一点に埋もれていて、ようやくそれが解け放たれた。
そうなのだ。私の今の恋も、まだ終わっていなかった。ずっと愛は、続いているのだ。あの映画の中で婦人はいった。「わがままをいいすぎるほど、人生は、永くはないわ」。
私にとって、あなたにとって、“天国にいちばん近い島”はどこなのか。
あてどない旅のようでいて、実はそうでもないことを、教えてくれたのである。私にとって大切な映画。それは、原田知世さんと高柳良一さん主演の『天国にいちばん近い島』――。
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