ヒッチコックの映画『鳥』

【アルフレッド・ヒッチコック監督の大名作『鳥』】

 それはつまらぬ妄想――。
 アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock)の映画『フレンジー』(“Frenzy”)を前に観た時、もしこの映画を撮った時にヒッチコック監督がもう少し若くて、活発な活動期に差し掛かっていたならば、かつてのケーリー・グラント(Cary Grant)やジェームズ・ステュアート(James Stewart)と同じくらいに、主演のジョン・フィンチ(Jon Finch)さんを起用し続けたのではないか――と思ったのだった。フィンチさんは1942年英国生まれのニヒルな俳優。

 さらに奇々怪々なヘンテコな想像をするようだけれど、ヒッチコック監督の作品全ての主演男優がフィンチさんだったとしても、作品の価値は下がらないどころか、もっとエキサイティングでアクロバティックなサスペンスものになったのではないか、と思ったのである。

 誠にそんなところから、俳優フィンチさんから『鳥』を思い返すのも、まんざらデタラメではない。フィンチ(finch)は、スズメ目アトリ科の鳥の総称――。
 なんとヒッチコック監督の映画『鳥』では、そのフィンチが、1,400羽登場し、それ以外の鳥(カラスやカモメ)も多数出演なさられている。

それはヒッチコック監督の大名作

 1963年の映画『鳥』(“The Birds”)。
 主演はロッド・テイラー(Rod Taylor)、ティッピ・ヘドレン(Tippi Hedren)、ジェシカ・タンディ(Jessica Tandy)、スザンヌ・プレシェット(Suzanne Pleshette)。

 いったいどんな映画か。
 ほぼ公式に近い端的な解説によると、《鳥が人間を襲い、喰いちぎるという残酷なテーマ》。これに準じて述べると、ストーリーの中では、農場で発見されたお百姓さんの男性の眼球は喰いちぎられ、鳥の仕業であることが明白に伝わる現場の散乱状態を見ることができる。そういうのを見てみたいと思う方は、ぜひ一度観ていただきたいのである。サスペンスとホラーのつまったヒッチコック最高の傑作なのだから。

 だが私としては、子どもの頃からこの映画を何度も観ているので、「鳥が人間を襲う」シーンにさほどの恐怖を感じなくなってしまった。いや、たしかにそれは怖い。怖いシーンの連続である。そのことは些かも嘘ではない。
 とはいえ、繰り返しこの映画を観ているうちに、私は気づいたのだった。いや、発見してしまったのである。スザンヌ・プレシェットさんの女性的な魅力に。それは恋い焦がれている心持ちとさして違いはなかったはずである。

 そんなことを口走ると、ティッピ・ヘドレンさんが後年、ヒッチコック監督からのセクハラを訴えたことと似通っているのではないかという思いが私の中で募り、もはやこのことへの言及を控えねばなるまいと思った。いや、私のはセクハラでもなんでもなくて、単にプレシェットさんに恋い焦がれていただけなのだけれど。今となっては恋い焦がれることすらも、セクハラなのではないかと、ある種のトラウマに掛からないことはないのだった。

ねえ、『鳥』に関してもっと詳しく

 ヒッチコックさんは、『レベッカ』(“Rebecca”)で知られる原作者ダフニ・デュ・モーリエ(Dame Daphne du Maurier)の“Th Birds”を映画化。
 ただこの原作小説は、英国の海沿いの農村が舞台で、エヴァン・ハンター(Evan Hunter/エド・マクベインEd McBain)がこれを映画化のために脚色した。早い話、大人の男女の色恋沙汰を加えたのである。
 そう、それがなければ、この『鳥』は鳥たちだけが主役――ということになってしまい、いい換えると、ティッピ・ヘドレンさんが農婦の役をやるのかという話になってしまうのだ。むろん彼女は引き受けたかも、しれないが。
 ただしそれでは、劇場映画として耐えられない。ヘドレンさん演じるメラニーは、若くて美人でスレンダーの、いうなればおきゃんぴー。彼女がサンフランシスコのペットショップで九官鳥を受け取りにやってくると、女主人はまだ届いていないという。もうまもなく、とはいうが、メラニーはおきゃんぴーだから人のことも知らずに届けてほしい、という。
 そこへ、あるハンサムな紳士ミッチ・ブレナーが現れ、メラニーを少しからかう。メラニーを店員扱いにして、ああだこうだと鳥のことを詳しく訊こうとする。メラニーも調子よくああだこうだと鳥のことを解説するが、ド素人のメラニーは知ってか知らずか的はずれなことをいい、ミッチもニヤリとする。

つがいのラブバード登場

 ここで鳥の名前として登場するのが、「ラブバード」(Love Bird)だった。彼は弁護士である。裁判所で見かけたメラニーを追いかけて、ペットショップへやってきたのだった。ミッチはメラニーに関心があるのである。
 すっかりミッチにしてやられたメラニーは、悔しい思いを何にぶつけようかと、そこで思いついたのは、ミッチが話の中でしていた妹さんの誕生日のプレゼントに、その「ラブバード」を持っていってみようということだった。去っていくミッチの車のナンバーを控え、親父さんの会社の新聞社に電話を入れ、ナンバーの持ち主を調べといてと伝言する。
 つまりは、ミッチもさることながら、メラニーもいつの間にかミッチに対し、淡い関心を抱くようになったのだった。

 どうですか。これがヒッチコック流のラブロマンスの導入部なのである。私などは、これからこの映画、鳥の襲来なんかがあるのだろうことは予測していても、むしろそれよりこの二人の恋模様がどうなるのか気になって仕方がなくなったわけである。

【ティッピ・ヘドレンさん(右)もカラスとツーショット】

 ところで、「ラブバード」とは、ボタンインコのことである。

 ちなみにクロボタンインコ(学名Agapornis nigrigenis)のことを、“Black cheeked lovebird”といい、その姿はまるで絵筆で描いたような鮮やかな色彩で、濃淡が美しい。そのうち紺に近い青紫色だったりとか、艶やかなスカイブルーのクロボタンインコは、たとえグラマラスな紳士淑女でも敵わないほど、禽鳥界のベストドレッサーであるさえ思う。

 しかし、この『鳥』のストーリーは、そんな単純なものではない。

恋を巡る関係と母親との対立構造

 ミッチの家はサンフランシスコから遠いボデガベイ(ボーデーガベイ)のほとりにあり、自家用車でこの小さな町にたどり着いたメラニーは、古びた木造の雑貨屋で、ミッチの妹の名前を教えてほしいと男店主に尋ねるのだった。
 店主はこういう。じゃあ、こうしてごらんなさい。この道の先に、妹が通う小学校の先生の家があります。そこへ尋ねていって訊いてごらんなさい。先生の名は、アニー・ヘイワース。スザンヌ・プレシェットさんの役である。

 見知らぬ道を走らせ、アニーの家にやってきて、アニーとそこで出会うメラニー。
 何かが弾ける音。なぜか緊張感が漂う。いや、お互いにピンとくるものがあった。アニーは黒髪の美人。メラニーと今ここで初めて会ったというのに、悲しいほど親しみを覚える。
 アニーはメラニーが尋ねてきた理由を知ると、すべての謎が溶けたかのように、ああ、そうなのね、やっぱりと思ったはずだ。
 この女、ミッチに恋してる。

【アニー役のスザンヌ・プレシェットさん(右)とメラニーを演じたティッピ・ヘドレンさん(左)】

 アニーは丁寧な口調でメラニーに、ミッチの家の場所を教えてあげた。お互いに会いたくない人、と思う相手に、偶然会ってしまった不快さと悲しみ、そして得体のしれない親近感。去っていくメラニーをじっと見つめて立ち尽くすアニーの姿が、私はとても美しいと感じた。

 やがてメラニーは港で借りたボートをゆっくりと漕ぎ出し、湾内の対岸に位置するミッチの家にこっそりと忍び込んで、つがいのラブバードを置いていき、またこっそりと外に出てボートに戻る。しばらくすると、離れの小屋にいたミッチが家の中に入っていて、また再び外に飛び出してくる。ラブバード、いやメラニーが来たことに気づいたのだ。
 メラニーはその光景を見、ほくそ笑んで、ボートのエンジンをONにし、港に戻っていった。
 車で先回りして待っているミッチ。あと少しで桟橋に着くメラニーは、何やら照れくさい。そこで再びミッチとメラニーがいい寄って皮肉交じりの楽しい会話をするのだろうと思いきや、突然空から一羽のカモメがメラニーの顔を襲撃し、去っていく。一瞬何が起こったわからない様子のメラニー。しかし明らかに額から血が流れている。

 こうしてこの小さな町に、鳥の襲来という惨劇が始まった。

 その鳥たちが、どれほど凶暴で恐ろしいかは、映画をじっくり観てほしい。

母親リディアの情緒不安

 こうした惨劇のエピソードよりも、私は、ミッチの母親リディアが異常な心理であることに関心を抱いた。
  3人暮らししているブレナー家の父親は、不在。死別である。ミッチが父親代わりとなって、妹キャシーと母親リディアの面倒を見ている。
 リディアにとって、そこに突然現れたのは、鳥、ではなく、女だった。

 ミッチに親しげに近づいてきたメラニーという女に対し、内心激しく興奮する。それはいうまでもなく嫌悪であり、冷たくあしらわなければならない女だ。
 だがメラニーもそんなリディアの態度に気づく。私はこの年上の女に、心底嫌われていると。

 ブレナー家でお礼の夕食を済ませたメラニーは、なかなか帰ることもできず、仕方なくアニーの家に泊まらせてもらうことになり、なんとなく居心地が悪かった。ブレナー家でもそう、ボデガベイの町の人々からもなにか冷たい視線を感じ、早くサンフランシスコに戻りたい気持ちがあった。
 アニーの家で、アニーのちょっとした恋話を聞かされ、モヤっとしていたものがだんだん輪郭を帯びてきた。アニーはミッチの元カノで、あのリディアの態度に疲れ切って破局になったのだと。アニーはそれでもこの町を去ることができず、できうるならミッチの生活圏の近くに居たいという心持ちだった。
 そんな異様な関係に巻き込まれてしまったメラニーにとって、敵愾心を持つアニーに、またあの母親リディアに対しても、鳥の襲来事件が起こるたびに、徐々に少しずつ、愛慕の念を抱くようになっていくのだった。

 しかし、そのアニーでさえも、あの鳥たちに逆らうことはできなかった。ミッチにとっても、アニーという奇妙な〈友人〉を失ったのである。

§

 さて、いっさいそんな複雑な関係心理に興味のないパニック映画マニアの方は、どうかこの鳥の襲来のサウンドがドイツのトラウトバイン博士発明のトラウトニウムという電子音響装置(旧式のシンセサイザー)で作られたものであるとか、鳥が人を襲撃するシーンの数々を見事に演じたこの鳥たちに拍手を送ると同時に、彼らを調教したバードトレーナーのレイ・バーウィック氏の映画術にほれぼれして賛辞を送っていただきたいのである。

 しかし私は、トニー・カーティスと共演したプレシェットさんの『40ポンドのトラブル』が観てみたいと思うし、もしこの映画のミッチ役が、やはりジョン・フィンチさんであったなら、いったいこの映画はどんなことになっていたのだろうと、想像というか妄想が絶えないのである。とはいえ、ミッチ役のロッド・テイラーさんに何の他意もないことは明言しておく。

 映画評論家の淀川長治さんによると、ヒッチコック監督は、ハムエッグが大嫌いだそうである。卵が嫌いで、それを見ると震えて怖がるのだとか。むろん卵とは、鳥の卵である。だからこの映画は、ヒッチコック監督にとっても神経を逆撫でするくらいに、恐怖心の克服を挑まざるを得なかった。
 そういうところからも、誰であっても親しみを覚える鳥たちが、人間を襲ったらどうなるか――と空想を膨らませ、映画化への意欲を強めたに違いない。ハムエッグが人間を襲うわけにいかない(というか画的に笑ってしまう)ので、ハムエッグではなく、その卵を産む鳥たち、なのである。

 でもやっぱり、しつこいようだけれど、3人の女に襲われそうになる男の役は、あの方がいいんだよなあと。こんな荒唐無稽な発想をする男に、どうか皆さん、罰を与えて下さい。ヒッチコックさんがあの世でニヤリと笑っているだろうねえ。

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