
朝井リョウさんの書籍広告絡みで、《中高年も考えたい》というキャッチフレーズの“◯◯治療”広告――云々で私が図に乗ったのは、今年8月のことである(「朝井リョウの黒タイツおじさん遭遇記」)。ところが今回、朝井さん自らが“中年の危機”と掲げて、中年の在り方を煽っているではないか。
『週刊文春』の主たる読者層がやっぱりどう考えても中高年であるとするならば、“中年の危機”というテーマの現出は、まさにドンピシャで整合性に見合った近視眼的視点ではないだろうか。それは「中年の切実な悩み」ともいい換えることができるが、その照らし方次第によっては、人生の壮大なテーマの変換期とも読み取れるのだ。
チュウネンとはどのあたりか?
ここでこれまでの人生を振り返ってみた私の場合、17歳にして自身の“オジサン化”を意識して以来、どのあたりが真っ当な中年で、どのあたりでそのクライシスが訪れたかの判断は、やや自己認識が曖昧となってしまうのだった。一般的な“中年の危機”とはかなり隔たりがあることを、あらためて自己省察せざるを得ないながらも、話を先に進めていく。
曖昧さにアイロニーを醸し出すチュウネンという響きには、示唆を含んだ枝葉が多い。いったい何が面白いのかというと、“中年の危機”という切実にしてちょっと地味なテーマを、あの朝井リョウさんが「私の読書日記」でチョイスしていることなのだった。
チュウネンにおける危機とは?
『週刊文春』(文藝春秋)2026年10月15日号の「私の読書日記」(酒井順子、鹿島茂、瀬戸健、吉川浩満、橋本愛、朝井リョウによる交代執筆形式)は朝井さんの番で、見出しは「“中年の危機”の照らし方」。
まず先に付記しておくと、朝井さんは1989年生まれで、今年37歳である。ちなみに、デビュー作『桐島、部活やめるってよ』(集英社)が小説すばる新人賞を受賞したのは2009年のことで、当時20歳であった。
朝井さんは今回、3冊の本を紹介している。
- ミランダ・ジュライ著『はいつくばって』(岸本佐知子訳/新潮クレスト・ブックス)
- 東畑開人著『ミドル・エイジ・ビギンズ』(KADOKAWA)
- 許俐葳著『不倫に関する、ちょっとした疑問』(中村加代子訳/中央公論新社)
この3冊について、朝井さんはこのようにまとめている。
《四十代という私にとっては少し先の未来を予め照らし出してくれるような気がする》
ある意味、社会貢献の間取りを見据えながらも、まだ遊び盛りである30代の現代日本人が、40代以降におそらく訪れるであろうクライシスについて、その予備知識を得ておこうとするきっかけを掴むことは、一般的にはなかなか難しい。ほとんどが茫々とした40代という未来を、漠然と想像してみるだけにとどまるのではないだろうか。そういった意味で、朝井さんの怪訝な先見性はなかなか味わい深い。

2つの予見
ミランダ・ジュライ氏の『はいつくばって』で、その“中年の危機”が描かれるのは、主人公の女性のホルモンバランスの変化により、《あと数年で性欲というものがなくなる》というものであった。これは身体的なクライシスである。
アーティストの“わたし”が夫と子の3人で、ロスからニューヨークまでのドライブ旅行に出発した矢先、小さな町でおもわぬ若い男性と巡り合うという展開。いったいそれはどんな交流であったのか? そして自身の性欲は、どのように変化していったのだろうか?
それとは対照的に、東畑開人氏の『ミドル・エイジ・ビギンズ』は、臨床心理士の著者が4人のゲスト(尾崎世界観、角田光代、鷲田清一、千正康裕)と対話し、ミドル・エイジ・クライシスについて聞くという内容。
朝井さんがその本でピックアップしたのは、鷲田氏の「人生あみだくじ論」――。
ヒトの人生を「始点・終点」をむすぶ直線的なストーリーとして未来計画を意識してしまうと、折り返し地点でクライシスに襲われやすい、のだとか。なので、あみだくじのように、どこからでも軸をずらしていく歩み方(生き方)のほうが、クライシスをやり過ごせるのだ――という論。朝井さん曰く、
あみだくじ的な変化は、一貫性のなさとも読み取れるわけで、そんな変化への心理的抵抗も、どうしてもある。だが、それは始点と終点を取り除いたからこそ、と認識を変えた途端、不思議と抵抗は消え去ってくれそうだ。人生はあみだくじ。期せずしてその表現は、『はいつくばって』の主人公が辿る変遷にも当てはまっていると感じる。
朝井リョウ「私の読書日記」より引用
“中年の危機”とは生き方の転換期
ホルモンバランスの変化による焦燥、仕事を一通りやりこなした後の折り返し地点の迷い、朝井さんにとってはまだ予見的なクライシスであるが、許俐葳氏の『不倫に関する、ちょっとした疑問』は、如実にふりかかる実例としての備忘録かもしれない。
台湾社会を背景に、30代のフェミニストの女性が、40代の映画監督の男と不倫関係に陥る――というストーリーで、様々なコミュニティの中で、“中年の危機”的な悶絶を反復させていくような小説。
朝井さんは遠からず近からずの距離感で、これらの本を眺めていたようだが、私は3つめの本に強い関心を抱いた。機会をみて読んでみたいと思っている。
総じて、倫理に抗えるチュウネンとは、まさしくそれを危機と呼ぼうともクライシスと客観視しようとも、「免れることのできない人間の欲望と慣習」なのではないかと思う。
朝井さんの創作における将来の作品が、そのあたりに手を伸ばしてくるであろうことを私は予見してみたのだが、一度この泥沼の“中年の危機”を経験して人生をすり減らしてみると、奇妙なことに、案外20代のあの頃に戻りたいとは思わないもの、なのである。チュウネンのクライシスは、決して若さを取り戻したいという願望とは違うのだ。
なぜなら、その経験は、若かりし頃の自分の生き方とはまるで別の、もっと愉快で生きがいを感じられる、強いていえば最も幸福に近い形での生き方を模索する時期であるからだ。
朝井さんは37歳にしてまだその先の未来を、想像して照らすしか手段がない。が、それゆえに、天才的な作家の頭の中には、ありもしない独創的な何かを生み出そうとしているのではないか、そこに私は期待してしまうのである。
果たしてこの先、朝井さんにどんな“中年の危機”が訪れるのか、ちょっと未来が楽しみになってきた。
関連記事

コメント