朝井リョウの黒タイツおじさん遭遇記

 最近、『週刊文春』(文藝春秋)を読んでいて思ったのだった。
 〈あれ? あの広告がどこにも無い…〉。

 それは、東京ノーストクリニックさんの“◯◯治療”広告であった。
 以前は、《中高年も考えたい》などといったキャッチフレーズが私の脳裏にすっかり刷り込まれていたのだけれど、その広告が、文春の中に見当たらないのである。
 ほとんど毎号、東京ノーストクリニックさんの“◯◯治療”広告が掲載されていた『週刊文春』にも変化が見られ、新たな広告が加わっていることに、私は気づいたのである。

【『週刊文春』にはあの広告が消え、こんな広告が登場!?】

「祝 本屋大賞受賞!『イン・ザ・メガチャーチ』朝井リョウ」

 突如降臨した朝井リョウ――といった感じでその広告は光り輝いていた。
 “頭を使わず読める大人気エッセイシリーズ全3作”の、『時をかけるゆとり』と『風と共にゆとりぬ』と『そして誰もゆとらなくなった』が、累計55万部を突破した――という信憑性のある宣伝広告である。

 小さな事件である。くどいようだが、東京ノーストクリニックさんの“◯◯治療”広告が消え、朝井さんの本の広告が顕れたのだ。これはいったいどういうことなのか。

 私はこう思った。
 そうか、この現象はつまり、『週刊文春』はもうおじさん世代が読まなくなって、逆に女性読者が増えてきたのだな――。

 今をときめく大人気作家の朝井さんの支持読者層は、裾野が広く20代から40代くらいの平成・昭和世代の男女と考えられる。文春の読者層も、ここ最近一気にそれくらい若返りしたとも思えるし、広告戦略のターゲット層を考えると、対照的に東京ノーストクリニックさんが撤退(?)したのも頷ける。政治ネタよりも圧倒的に芸能ネタと現役ビジネスマン向けの記事が多い『週刊文春』は、もはや昭和40年代以前に生まれたおじさん世代が追っかける雑誌ではなくなってきている――と、考えられるのだった。

 そんなような結論で納得感を得た数日後、文春の新しい号(2026年8月6日号)を買ってみたら、なんと東京ノーストクリニックさんの広告が見事に復活してくれていた。

《男の自信アップで人生後半を楽しむ!!》
《さよなら包茎》――。

 いやあよかったよかった。じゃなくて、なにが? ――いやいや、やはり文春にはしっくりくる“◯◯治療”広告なのであった。

【あまりにもくどすぎる『時をかけるゆとり』の装幀】

朝井リョウの本を開く

 某月某日。
 私は鼻息を荒げ、スタバのコーヒーを一口飲んだ。窓の外で一羽の黒いカラスが飛び去ったのが見えた。
 久しぶりに手に取ったのは、朝井リョウさんの『時をかけるゆとり』(文藝春秋/2014年刊行)の本だった。悩ましい“◯◯治療”広告の効果よりも、「ゆとり世代」のあっけらかんとした明るさのほうが、私の気持ちを解放してくれている。

 それにしても、『時をかけるゆとり』の文庫本の装幀が、これでもかというほどくどいのだった。

【以前持っていた『時をかけるゆとり』の装幀はこんなだった】
くどい装幀

 以前の装幀はこんなだった(上画像)。
 校庭にある鉄棒に、男子高校生がしがみついてぶら下がっている光景。溌剌とした若者たちをイメージしていて好感が持てた。
 それがどうだろう。いま所有している2023年8月の第17刷では、ニヤけた朝井さんの線画に変わっている。しかも、文字で埋め尽くされている。
 それが実にくどい――。文字のかたまりが4方に分かれていて、どこをどうつなげて読んでいいのかわからない。
 たぶんこう読めばいいのではないか。

①「本当にただのゆとりなの?」
②「圧倒的無意味で国宝級に面白い」
③「朝井リョウって、」
④「ゆとりでもゆとりじゃなくてもまじサイコー!!」
⑤「時をかけるゆとり 朝井リョウ」

 はっきりいえば、東京ノーストクリニックさんの《男の自信アップで人生後半を楽しむ!!》《さよなら包茎》とほとんど変わりないノリ…。
 ゆとり、ゆとりと、やけにこだわる朝井さん。

ゆとり世代

 一般的に「ゆとり」とは、このような意味である。

空間的・時間的・経済的・精神的に必要以上のあまりがあって、きゅうくつでないこと。余裕。

大修館書店『明鏡国語辞典』第三版より引用

 そしていみじくも、作家・光原百合さんはこの本の解説のタイトルを、「かなり素敵な世代」とし、このように述べている。

本書『時をかけるゆとり』というタイトルの意味を担当編集さんに聞いてみたところ、「ゆとり世代の著者が子供のころから今にいたるまで、変わりばえせず、馬鹿馬鹿しく可笑しい日常を過ごしている、というようなニュアンス」だと教えてくれた。

光原百合「かなり素敵な世代」より引用

 世間的に「ゆとり世代」はいい評価にあまり恵まれていないようだが、当事者もあまり肯定的ではないのだと、光原さんは分析している。私も同感である。
 それゆえ、《もし、朝井さんの冷静な観察力と、格好をつけることを良しとしない含羞が、ある程度この世代の「ゆとり」から来ているものだとしたら》、“かなり素敵な世代”に育っているだろう――という見立てである。

 「ゆとり世代」の特徴は、物事を総合的に判断して結論づけることよりも、端的にそれを見て、その実情を観察していく理知が優れていることだと、私は思っている。
 物事をよく見、なおかつ自分に不利益が被る状態を、なんの隠し立てもなく表現できる単眼の素晴らしさが、朝井さんの表現性の基礎になっているのだ。

【私自身もちょっと、ゆえあって全身タイツを着てみたのです…】

黒タイツおじさん遭遇記

 この『時をかけるゆとり』の中で、朝井さんの“小噺”が国宝級に面白いのが、なんといっても「黒タイツおじさんと遭遇する」だろう。

 まだ大学生だった朝井さんが、麻布十番で、バイトの時間の前にマックでランチ&読書を楽しんでいた…。すると突然、見知らぬ“黒タイツおじさん”が話しかけてきた。朝井さんはすこぶる困った。周囲の目を気にしながら、助けてぇ~と思いつつ1時間弱も、その“黒タイツおじさん”と「インジョイ」(???)してしまったという話。

 あまりにも面白いのだった。その朝井さんの“小噺”が。
 なので、これはぜひ、この本を買って読んでいただきたく、内容の仔細を割愛し、ほんの少しだけ書いてしまいたい。

この場合のセクシーさは怖い

 ともかく面白いのは、そこで登場する“黒タイツおじさん”の正体が、なんだかよくわからないことなのだった。
 そうそう、なんだかわからないといえば、私もたまたま1か月ほど前、全身タイツを穿いて写真を撮っているのである。

【全身タイツはぴっちり感が大切】

私はちらりとおじさんのほうを見た。ハット帽が脱げないように使う黒いスカーフのようなものを頭に巻いており、高そうな、薄い生地のジャケットを着ている。浮浪者という感じでは全くない。

朝井リョウ『時をかけるゆとり』より引用

 その文章の後、こう付け加えている。
《おじさんの下半身は黒タイツのみである》

この姿は普通の裸体のごとく露骨に、余が眼の前に突きつけられてはおらぬ。すべてのものを幽玄に化する一種の霊氛のなかに髣髴として、十分の美を奥床しくもほのめかしているに過ぎぬ。

夏目漱石『草枕』より引用

 思うに、夏目漱石の小説『草枕』で、画工が温泉場で女と遭遇する妖艶美の描写とは、えらく対照的である。

《おじさんの下半身は黒タイツのみである》

 朝井さんが『桐島、部活やめるってよ』で小説すばる新人賞を受賞する前の、話である。当然彼は、朝井さんが若き作家の朝井さんであると知っているわけがない。
 その彼――“黒タイツおじさん”は、ふつうに話しかけてきたのだろうと思われるが、服装が、やや尋常ではなかった。変態か、お国柄か、職業上の衣装なのか(近所でそういう舞台をやっているとか)、どこかしらの関係でそんな恰好なのかわからなかった。ただいえるのは、彼は、朝井さんへの淡い愛情を抱いて近づいてきたこと――だけは確かなようである。
 ハロウィーンで盛り上がる前に仮装をして、マックで午後を過ごしている楽しげなおじさん――だったらまだよかったが、あいにくこの話は、セミが鳴いている夏の出来事なのであった。“黒タイツおじさん”はよくしゃべり、何を伝えようと朝井さんに接近し、話しかけてきたのかさっぱりわからず、それが夏の怪談噺のように怖い。

§

 どんな内容なのか詳しくは本を読んでいただきたいのだが、この話、朝井さんが大学2年の時というから、2009年のこと。もう今から17年も前。その時の“黒タイツおじさん”の出自も去就も、たどることはほぼ不可能だろう。

 “黒タイツおじさん”の黒タイツって、実際のところよくわからない。私はつい全身タイツのそれを想像してしまったが、もっとおしゃれな、ストッキングに近い感じの黒タイツだったのではないか。
 したがって私のイメージ画像は、撮っただけ無駄骨だったともいえるのだが、逢瀬した朝井さんにとっては、全身タイツのギャグのノリであったほうがマシだったかもしれない。その時の彼は、いやにしつこく自分の知性を振りまわしていたのだから。

 でも、東京というところは、昔から、そういう人と出くわすことが多い。
 男の人でピーキーな化粧をしてヘンテコにランジェリー化した人というのは、特定の職業の方以外でも、けっこういたりした。私は麻布十番ではよく知らない。が、新宿あたりでは昔、そういう人をよく見かけた。もしかするとその時の“黒タイツ”は、あくまでバリエーションの一つであって、違う日にはピンクとか赤系のタイツを穿いて闊歩している人、なのかもしれない。

 新宿・歌舞伎町界隈のファストフード店でよく見かけた。
 中学生の時、映画館に出入りしていたので、この界隈を歩くことが多かった。昔のミラノ座(今のTHEATER MILANO-Za)の近くのファストフード店でバーガーを食べていると、隣の席でどきついセーラームーンのような格好をしたおじさんが潜んでいるのに気づいた。どう見てもおじさんであった。
 余談がすぎた。

 朝井さんはその日、まことに雅やかな午後を過ごされたのだろう。私は本を読み終えて、ごくりとコーヒーを飲み干した。

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