
『週刊文春』(文藝春秋)9.24/10.1秋の特大号で、元KAT-TUNのメンバーで知られるマルチタレント・中丸雄一さんの連載「推して推されて」では、巷の“スネハラ問題”に言及していて面白かった。
「スネハラ」とは?
男性のスネ毛が公衆に晒された時、見る者に不快感を与えてしまうハラスメント。これを略して「スネハラ」。
今夏、東京都のクールビズの取り組みの一環で、「ビジネスシーンでのハーフパンツ推奨」の発表に起因してか、SNSで「スネハラ」のワードが駆け巡ったらしいのである。世のオジサンたちがハーフパンツを穿くことによって、スネ毛ボーボーを晒すことになり、それを見ざるを得ない者が不快な思いをするのではないか――という案件。
ちなみに、この手のハラスメントに関しては、私は以前、「透けパン」――透けて中が見えてしまうシースルーのパンツのこと――のトピックに絡ませて、「透け乳首」の見える化ハラスメントにも言及したことがあったが、「スネハラ」と同じクールビズ案件である。不快なものを見せつけられているという、ちょっとした被害妄想的な面もあって、賛否両論の絶えないハラスメント領域なのだ。
反「スネハラ」派の中丸さん
話を戻すと、中丸さんは反「スネハラ」派である。
猛暑の折、ハーフパンツは涼しいし、汗がベトつきにくいので快適だという。その快適さが「スネハラ」によって奪われようとしていることに、中丸さんは抵抗を感じるのだった。
それこそ、ハラスメントではないのか。「スネハラ」というハラスメントなので、「スネハラハラ」? それともハーフパンツをはくことに対するハラスメントだから「ハーフパンハラ」?
中丸雄一「推して推されて」より引用
そして中丸さんは、《僕は「すね毛こそ男のシンボル」みたいな考えは毛頭ない》と述べ、ツルツルにしなければならないとも思わないという。《自分の手足がやたらツルツルしていることには、ちょっと抵抗がある》。中途半端に剃って、ジョリジョリしてくるのも嫌だと述べている。
そもそも男性の身体は、体毛とキズによってその男性性を指し示していると、私は当ブログ「石内都『さわる』における身体的男性性の発見」で述べた経緯がある。大抵の男性は、「スネハラ」に抵抗を感じていると推測する。
それでいてなおかつ、男のシンボルとしてスネ毛は君臨する、といったような旧時代男性性的発想もない――という、まさに優柔不断な心理的特性を、今日の男性どもは背負って生きている。主たる男性性にかかわる事柄については、このまま優柔不断で果断に死にたい――とばかりの心境であると推測できる点で、私も同感めいた部分を吐露せざるを得ない。
中丸さんの思考は、以前の私とそっくりだ。
ところが、女性はこう思っているはず。
「スネハラ」を気にするくらいなら、一度剃ってみれば――。
堅固な男性性の思わぬ罠
昔風のいい方で恐縮だけれど、男たる不逞をやらかしたいい年の男が、「スネハラ」ごときでくよくよと悩むな!
これはいったい誰が誰に対してのことばか? といえば、ゴメンナサイ、はっきりいうと、世の女性が真に思うこととして、中丸さんに対して――である。
そう、私も「人新世のパンツ論⑫―ゆとれぬパンツの危険な冒険」の中で、某氏という形であったが、中丸さんのことを引き合いに出したことがあった。例のスキャンダルの時である。
自分でスネ毛が嫌だと思えば剃ればいいし、嫌でなければ剃らなくてもいい。ナチュラルヘアでかまわない。しかし、男性は女性よりも上、という偏見的な優位性を重んじて、オレは男だからボーボーのスネ毛が見えるくらいどうってことねえだろ…的な考え方を持つ男性は、今日的な社会性の節度が疑われる。すなわち、女性たちが嫌悪感を示す。
本質的にいうと、つまり、スネ毛ごときでくよくよウジウジと悩んでしまう男性、それから、顕著に父性の権威をちらつかせて物事を決めつけてしまう男性に対して、女性の側に嫌悪感があり、「スネハラ」の案件を幸いにして、一旦問題希釈しておいたほうが良さそうだ、ととらえている。その点のことが、多くの男性には理解できていない。中丸さんは前者に当たる。
とかく男性は、世間体や対面を気にする質(たち)である。
中丸さんの場合、「スネハラ」があって、それでやっぱり剃ることにしたと思われたくないので、剃れないでいる――という内面をごまかし、それを男のシンボルとは思わないが、ツルツルも嫌だといい、優柔不断さを醸し出す。
つまるところ、男性のメンタルなんてこんなもんなのだけれど、女性からすれば、そういういい訳がましい男(=男性性)であることをこちらは見透かしているのに、なぜ気付けないのかしら? と思うわけである。すんごく年下の女性にもボクはモテるのだ、という自己満足なんて、女性は謙虚な態度で〈それ、だから何?〉と思い、そういうのが自分のかっこよさだと思っている男の内面に、ほとほと呆れていることに、男性は気付けないのであった。

私は「ハイジ男子」
以前までは私も、体毛が繁茂しているのが男のシンボルなのだから、生やしたままでいるのが自然だし、それが不快だと思われてしまうのは仕方がないけれど、自分で体毛を剃る気にはなれない――男だった。
今では中学生や高校生くらいでも、男女がスキンケアを気にして除去していたり、普通に整形を考えたりしているもの。体の部分をいじくるということ。
だが、私のような80年代・90年代にヤングだった世代では、男がスキンケアや整形を考えるのはひどく極端であり、強いていえば都会の男の子だけが考えること、そういう領域だ――と思っていた。そういう意味での時代は、大きく変容したように思う。
しかし数年前、体毛こそ男性の分身――的な考え方を、私は全部捨てた。
男らしさの規定や女性であることの幻想性を剥ぎ取ったところにこそ、未来の社会があるのではないかと考えた。体毛は神でもなく、分身でもなく、アイデンティティでもない。
だから、私の場合、自分で体毛を剃り、あるいは除毛クリームなどを使って、体毛を一気に減らした。頭髪以下のヘアが一切無いとはいわない。大幅に減らしたのである。生えてくれば剃るし、生えてきても剃るのが面倒なほど生えてこないのがわかった。チョロっとしたのを、さらっと剃ればいいだけになるのだ。実に簡単なことである。
ハラスメントに寄っていく思考性
スネ毛は男のシンボルではない。そんなところに、男の魂があるわけがない。
鼠径部に生えているピュービックヘア(陰毛)は、これこそ汚いしみっともないと思っているので、そこは無いほうが好ましい、と私は考える。ペニスまわりとか、陰嚢とか、肛門まわりのいわゆるVIOラインは、基本的に剃ってしまっているので、少なくとも長い毛は存在しなくなった。確かにすぐ生えてくる部位であるけれど、ライフスタイルのルーティンとして剃ることを習慣化していけばいいのだ。
男性はとくに、女性からのハラスメントの声に神経質になっている。神経質であるくらいのほうが、社会生活は安寧のような気もする。
そのいっぽうで、ある意味では「体毛を剃る」ことで稼いできたアイドルスターのプライベートなメッセージとして、中丸さんのコメントは、意外というか貴重だった。世の男性に配慮して…という気持ちも何となく感じる。
ただ、どうせ配慮するんだったら、なぜ女性にもっと配慮できないのか? とも思ってしまう。それは男の心理としてなかなか難しいのだろう。
ハラスメントということばに抵抗を感じるのなら、「世の中の声をもう少し聞いてみよう」という表現ではダメなのか。聞いて取り入れてみよう(=改善)という思考にならない社会が、男女不平等の社会を延々と続けてきた原因ではないのか。
「スネハラ」の案件で結局、暗に世の中の男性が女性を叩く構図に帰着してしまうのであれば、それは現役アイドルスターの本意ではないはず。もっと女性の味方になってもらいたいのである。とはいえ、「スネハラ」は女性が限定的な女性を叩く構図にもなっていることは述べておく。そうしているうちに、ハラスメントを口に出せなくなるような世の中になっては困る。お互いに、謙虚な意見を述べ合う程度が良さそうだ。
私個人は、ある時、「ハイジ男子」をやめてみようかと思うことがあった。
が、やめた。
ボーボーのナチュラルボーイ時代(スキンケアに無頓着で何も手入れしなかった時代)に戻りたくなかった。鬱陶しく汚いだけなのだ。ただそれだけの理由。汚くない自分でいつまでも輝いていたい。だからいらないものは剃る。そういう思考である。
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