漱石『夢十夜』―黒い波におちていく

【夏目漱石著『文鳥・夢十夜』(新潮文庫)】

 “十年ひと昔”というけれど、10年前に夏目漱石の小説を読んだきり、それ以来すっかり漱石本から離れていたように思う。本当に漱石の小説は読まなくなっていた。
 たぶん最後に読んだのは、『夢十夜』であろう。それ以来、朝井リョウを読んだり、ヘミングウェイやマーク・トウェイン、サリンジャーといったアメリカ文学に傾倒していったのだった。

威風堂々とした文豪・夏目漱石

 漱石の“夢”の話をしたのは、「〈再録〉夢十夜―慥かな、とてつもなく慥かな」である。2016年3月――。その本文で私は、一般的な「夢」とは何かについて言及し、漱石の『夢十夜』のいくつかを絞って紹介していたのだ。その中で私自身の関心が一番高かったのは、「第七夜」だった。

 正真正銘、私が19歳前後の頃に買った新潮文庫版の『文鳥・夢十夜』は、奇跡的にも現在手元に残っている(上画像)。平成2年10月30日三十二刷。表立って書棚においてあったならば、とっくに断捨離されていたであろうこの本は、何かの都合で別の場所で眠っていた。それで残ってしまった。他の文庫版の漱石本は全て処分していたのだ。岩波書店の全集を所有しているために――。
 新潮文庫版(平成2年)の『文鳥・夢十夜』の装幀は、大正4年(1915年)に出版された漱石の掌編作品集『色鳥』(新潮社)の装幀をもとにしたもので、オリジナルの装画は津田青楓が描いている。

【新潮文庫版の装幀画のオリジナルは、津田青楓作画の漱石掌編作品集『色鳥』(大正4年)】

 ここで語りたいのは、『夢十夜』の「第七夜」。

 その本には、漱石文学に詳しい国文学者・三好行雄氏の解説が載っている。
 「第七夜」は、《ロンドン留学の体験を投影しながら、西方の〈近代〉と触れあうことで存在の根を絶たれた失墜感のきわだつ》掌編で、《こんな夢を見た》という書き出しで、《いわば夢を仮構もしくは意識化した「夢十夜」がフロイト流の〈無意識〉の分析にどこまで耐えるかという問題は残るが、いずれにしても、漱石が夢を夢としてはじめて描いたという事実の意味はおもい》と記す。
 あの頃初めて「第七夜」を読んだ、ぎりぎり10代の私の心情に、以上のようなことばが肉薄して刻み込まれたのだ。それは、文学という奥深さに踏み入ることの、童貞喪失のような経験であった。

 漱石本への歩み寄りは、工業高校時代に始まっていた。17歳にして“オッサン”になったことを自覚した私は、目の前の――筑摩書房の国語教科書の中の小説『こころ』の――漱石を読み出す以外に、その淡い諦念を沈着させる他はなかったのだ。
 しかし、“明治の文豪”などと称されていた夏目漱石の小説は、そんな堅苦しい威風堂々としたレッテルとは裏腹に、あまりにも繊細で、奇異で、まるで透明な糸で編んだセーターのような――としかいいようのない「温かな内面」が隠されずに見えてしまっているのであり、そのことがひどくショックでありつつ、その頃の私の内省と同化していくのだった。

 卒業後、サリンジャーの“ライ麦”に「惹かれることもなかった」ことは、既に述べてきたし、再三ふれてきた(「〈再録〉ライ麦のK先生」)。
 ここに、若々しい恋愛観が欠落していく原因があると思われたのだ。むろんそれは、漱石文学に傾斜したからというわけではないにせよ、当時の若者感覚でいうところの、男としての通底ファッション、あるいは流行、ヒット曲、新着の映画など、トレンドを追う都会的な指向が、紛れもなく心情的に衰弱していたのだった。
 漱石は、自己の無意識の重苦しさの何かを、見事なくらいに言語化していた。

「第七夜」の船と海原の夢

 そんなことを思い返して、『夢十夜』の「第七夜」を読んだ。

 大きな船。黒い煙を吐いて、どこへ行くのかわからない。漱石は端的にこう表現する。
《自分は大変心細くなった》

 港にたどり着く気配がないのだ。
 ただ波を切って、海を彷徨っているだけ…。

《こんな船にいるより一層身を投て死んでしまおうかと思った》

 たいへん息苦しい夢であり、死の決心をしてしまう。
 思うに、自分がファンタジックな世界に溶け込んで、空を飛び回ったり、甘いお菓子をいくらでも頬張るようなお気楽な夢を並べていこうとは思わず、ただただ絶望感に満ちた夢を綴るのである。それはひどく怖いことだ。

 船内には外国人がいっぱい居て、一人の女が泣いていた――という。
 世界にぽつりと自分がいて、周囲とは馴染めない隔絶した心に戸惑っているようでもある。この女もまた、悲しいのだと気づいた。

 ある時、別の女がサロンでピアノを弾いていた。ピアノの傍で背の高い男が立って、歌を歌っている。

《二人は二人以外の事にはまるで頓着していない様子であった》

 そうして自分はつまらなくなり、死ぬ決心をした…。
 このあと、思い切り海の中へ飛び込むのである。

 だがたちまち、どういうわけだか自分は急に命が惜しくなった――。
 死にたくなくなった。死にたくない。でも、もう遅い。
 自分の身はそのまま、海の中へ落ちていかなければならなかった。落ちて死んでいく宿命に、逆らうことはもはや、できないのだ。なぜなら、既に自分の足は、甲板を離れているのだ。

 ここで、海原にある船は、黒い煙を吐いて通り過ぎるのである。

 落ちていく速度感と、船が通り過ぎていく時間との整合性がとれていない――。しかし、この瞬間、私は私の心を泳ぎ、生の絶望感の推移から死を選択した挙句に、それに迷い、とどまることのできない身体のもどかしさにさらなる強い絶望感を抱きながら、海の底へ落ちていこうとする。
《やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用する事も出来ずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った》

 客観的には、哀れな話であり、そういう夢である。自分をとてつもなく憐れんでいるとも考えられる。

【「第七夜」の海原は決して特別な海ではない】
落ちていけばいいということの後悔

 「第七夜」の終末の文章――《無限の後悔と恐怖と…》――は、19歳前後に読んだ私にとって、あまりにも衝撃的でショックが大きかった。おそらくそのショックは、工業高校生どうしの友人たちが、半ば心苦しくも可憐で若々しい学校生活を営んでいる頃に読んだ『こころ』よりも遥かに痛々しかったし、疵(キズ)をともなったはずだ。

 船はどこへ向かっているのかもわからない。
 そしてつまらなく、ひどく退屈だ。もう死んでしまいたい。
 女が眼の前に現れたが、既に男が連れ添っていて、私との縁はこの先結ばれないことの暗示――。

 世界はそれで完結してしまっているのだった。だから終わり。終わりにする。もうつまらない。海に飛び込んで死んでしまおう。
 それなのに、その直後の開き直りともいうべき後悔の絶無が、あまりに苦しく、これを読んでいた自分の心にもズキズキと突き刺さってくる。

 漱石にとって、生きた時代の「生存欲求」とは、近代へのわずかな望みだったのだろうか。それとも、あくまで個人的な世界観の中での諦念、そしてそこから脱却を意味するメタファーだったのか。

 19歳前後の自分に、いま戻れるのならば、この夢の解釈を改める以外に道はなく、心と体の分裂的な錯誤から逃れるためには、潔く真っ当な恋をするしかないと、決意したかもしれないのだ。もしそう判断できれば、それは若い男子として、正しい考え方・生き方だと評価できる。漱石の「夢十夜」は、恐ろしく無限なのである。

 しかしながら、そこに戻れるわけが、ないのだ。

 確固たる生の「生存欲求」が、私を駆り立てる。漱石の「夢十夜」を反復して読んでもいい。ただし、落ちていくことの決心だけは、望まない。まだ私には、たとえそこが黒い波であろうとも、幾分か青春の名残がある。それがもし花開くことがあるとすれば、私の生はそれだけで幸福といえるのだ。待つのではなく、掴むのだ。

 そう、私の人生は、まだ何もツンではいない――。

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